第1話から読んでない方はホームからどうぞ。
※今回は、最後の質問のあとに、大切なお知らせがありますのでよろしくお願いいたします。
自転車で学校から帰っていると、公園の横を流れている川で、おじいさんが魚釣りをしているのが見えた。
(あれッ、おじいさんだ。こんな遠い所でも魚釣りするんだな)
僕は急いで公園の中に自転車を乗り入れ、ブレーキをグッと握った。
キキ~ッ!
「おじいさん」
「おお、少年か」
「釣れないからって、こんな遠い所にまで来て魚釣りしてんの? いい加減に魚釣りが下手クソなの認めたらどう? 場所のせいにしちゃダメだよ」
「会っていきなり年寄りをからかうもんじゃない。フォッ、ホッ、ホッ、いやなに、今日は少年、お主を待っておったのじゃよ」
「えッ、僕を待ってたの?」
「そうじゃよ。そろそろじゃろぉと思うてな」
(僕の私生活を全部知ってるんじゃないのかな? ストーカーか? ハハッ)
少し不気味に思ったけど、{前にもこんなことあったし、まぁいっか}という感じで笑顔を取り繕った。
ありんこの法則を教えてもらってからも、おじいさんとはチョクチョク会っていたけど、僕の話を聞いても{ふむ}っていう返事しかしないので、一向に進展していなかった。
でも今回は違った。おじいさんが魚釣りの竿を上げ、
「どれどれ、聞かせてもらおうかの」
と、公園のベンチへと誘ってきたので、その誘いに乗り2人で並んで座った。
いつもとは違う景色なのかはわからないけど、なんだか妙な感じだ。
「で、どうなのじゃな?」
「えッ???」
(って、いきなり本題かよ… まぁいいや)
「え~っとねぇ、答えじゃないんだけど、大人が幼い子に対して{でちゅか}とか赤ちゃん言葉を使うでしょ。それでチョット気がついたことがあるんだよね」
「ふむ」
「法則と直接的な関連性はないとは思うんだけど、でもその赤ちゃん言葉ってのは、誰かが最初に言い出したんだよね。誰かがね…」
「ふむ」
「そしたら前に本で読んだことを思い出したんだよ。大人が使うその赤ちゃん言葉って、赤ちゃんが一番聞き取りやすい発音なんだってことをね」
「ふむ」
「最初に赤ちゃん言葉を使った人も、そんなこと知らないで使ったはずなんだよ。つまり、僕たちには元々、何か刻まれているモノが存在するってことだよね?」
「ふむ、刻まれたモノ…か…」
(やっとこさおじいさんから、{ふむ}以外の言葉が出たぞ)
「うんッ、そう!」
僕の声のトーンが上がった。
「それでまず考えたのが、ありんこの法則は、どうして存在するのか? その原因は?…ってね。そしてその先を考えたんだ。その原因を結果だとしたら、その原因は?って」
「それはいったい何なのじゃな?」
おじいさんが、興味深そうな笑顔で尋ねてきた。
「答えじゃないけどいい?」
「もちろんじゃ」
僕はジャングルジムの根元から伸びる影を見つめ、そして風に揺れる木々の葉音を聞きながら静かに一呼吸おいたあと、ゆっくりとしたテンポで話した。
「既にあるモノ…。僕に、いや、全てに刻み込むために、既にあるモノだよ」
「ふむ。では少年、それを今あるお主自身で説明してごらん」
(やっぱり突っ込んでくるよなぁ、おじいさん… でも久しぶりだなこの感覚)
「うん、まず1つ目は本能だよ。死から逃れることが代表的かな?…先天的にね」
「ふむ」
「2つ目は、刷り込みみたいに植えつけられたもの。後天的に身に付いたってこと」
「ふむ」
「そして3つ目が、既にあるモノによって刻み込まれたモノ。この3つだよ。今の僕はね」
「ふむ… 3つ目は、1つ目の先天的とは、どこが違うのじゃな?」
「う~ん、何て言っていいかわかんないけど、1つ目の本能ってのは、生き物だけが持ってるモノだよ。3つ目のヤツは、さっきも言ったけど{全てのモノ}に影響するモノのことだよ。う~ん、なんかゴメン、言い方がよくわかんないよ」
「フォッ、ホッ、ホッ、それで良いのじゃよ」
「こんなんでいいの?」
「十分じゃよ少年。それで何かわかったことはあるのかのぉ?」
「うん、それがたくさんありすぎて何を話していいかわかんないんだけど、とりあえずは、既にあるモノのことを考えてたら、ずっと前、僕の目の前に広がった{絶望}が、通念での絶望では無くなった。ということかな?」
「ふむ、どういうことじゃな?」
「それまでの僕は、絶望を単なる本能や刷り込みの枠の中だけで捉えていたんだよね」
「ふむ」
「でもガラリと変わったよ。だって既にあるモノっていうのは、上も下も、良いも悪いも、感情も何もないんだからさ」
「ふむ」
「コレってさぁ、知らないけど知っていることの中の、ひとつ…だよね?」
僕は、{これでどう?}ってな感じで、おじいさんに少し胸を張って見せた。
「ふむ、では少年。善悪、正邪、人間、生き物、山や海、植物、その他すべてのモノ… これらは、いったい何なのじゃな?」
(さぁ大詰めだ。こういった場合のおじいさんは、ひと言じゃないとオッケーを出してくれない。いや、許してはくれないぞ)
僕に久しぶりの緊張感が走った。
全身の毛穴が開いてビリビリしてる。
「おじいさん、それはねぇ…」
少しもったい付けると、おじいさんが仲の良いコンビみたいに、
「なんじゃな?」
と、リズムよく合いの手を入れてきたので、僕もそのリズムに乗って答えた。
「それは、手段ッ 単なる手段だッ! そして、その結果だ!」
そう言った瞬間、空気が止まって何も聞こえなくなった。
ただ凛とした空気と、ピーンと張りつめた見えない糸だけを、そこに感じた。
パチパチパチ・・・
おじいさんの拍手が、その場の空気を動かしてくれた。
おじいさんは眼をつぶったまま、大きく{うんうん}と何度も頷きながら、僕に拍手を送ってくれている。
テレ臭くなった僕は、それでもお礼を言わなくちゃと思い、
「おじいさん、ありがとう。おじいさんはいつも僕を見守っててくれるし、いつも違うモノの見方を教えてくれるよね。僕は、善と悪とか、表と裏とかの2面っていうか対極っていうか、そういうモノの見方ばっかりだったんだよね。」
と、そう言うと、おじいさんは前に言った言葉を繰り返した。
「ワシはヒントを与えただけじゃよ。元々お主の中に、答えはチャンとあるのじゃよ」
・・・と。
それでも僕はお礼を続けた。
「でもホントに、新しいモノの見方が加わっただけじゃなくて、それぞれを今よりももっと、深く深く探究するようにもなったよ。ありがとう」
「探究じゃとな? 相変わらず{おセンチでおませ}なヤツじゃのぉ」
「ヘヘッ、バレたか。そうだよ。僕は...{全てを疑う}ようになったんだよね」
「ふむ、正直でよろしい」
「フオッ、ホッ、ホッ」
「アハハハハハ」
僕の心臓が心地良いリズムで刻んでいる。
血液の流れもスムーズに感じる。
風になびいて囁く葉の音、せせらぎ、小鳥のさえずり、遠くで鳴ってる汽笛の音までもが協和音となり、僕と調和していった。
次のおじいさんの言葉を聞くまでは….
**********
「さてと少年… これで第一段階は終了のようじゃな。おめでとう」
自分の耳を疑った。
(だ、第一段階? なぬッ?)
「チョッ、チョット待っておじいさん、第一段階ってなに?」
「第一段階とは、第一段階のことじゃが…」
おじいさんは、{ワシ、何か悪いことでもしたかのぉ?}みたいなトボけた言い方だ。
(おじいさんって…よく3つ提示するけど、まさか…)
僕はビックリ箱を開けるように、恐る恐る聞いてみた。
「おじいさん、まさか、三段階まであるってこと?」
「ふむ、そうじゃが」
(な、なんだよそれ… このおじいさん、すっトボケて言ってるけど絶対に確信犯だ。この第一段階だけで10年くらいかかってんだぞ。だったらあと何年かかるんだよ!)
その瞬間から周りの心地良い音が、一気に不協和音と化してしまった。
どれくらい無言でいたのだろう、おじいさんも素知らぬ顔をして話しかけてこない。
(このまま黙っててもしょうがないよな。なんか話さないと…)
無言でいればいるほど、話しかけにくい状況になっていった。
(マズイな… おじいさんはこういった場合、絶対に話しかけてなんかこないぞ)
そう思い悩んでいると、お母さんと小さな女の子が、この公園に向かってくるのが遠目に見えた。
これはチャンスだ。
(まだ、だいぶ遠いな…早くこっちに来ないかな?)
僕はその親子に、おじいさんと話す{キッカケ}を期待したのだ。
すると、女の子がお母さんの手を振りほどいて、こっちに向かって走りだしてきた。
でもだ。だんだんと近づいてくるその女の子を見て、僕は息を呑んだ。
その5歳くらいの女の子には… 片腕がなかったのだ。
**********
女の子は駆け寄ってくるなり、息を切らしながら僕に話しかけてきた。
「ハァハァ、ねぇ、お兄ちゃん、どうしてマリちゃんには右腕がないの?」
「!!!」
いきなりのこの質問に、呑んだ息を吐きそうになった。
助けを求めるようにお母さんの方に目をやると、少し慌てながらこっちに走ってきてる。
というか僕も慌ててる。
でも女の子は、そんなのお構いなしに再度僕に聞いてきた。
「ねぇ、お兄ちゃん、どうしてマリちゃんには右腕がないの?」
「・・・・」
真っ直ぐな眼で聞いてくるその女の子…
名前をマリというのだろう…
当然、悪気なんかない、無邪気そのものだ。
困った… 非常に困った。
「ほらマリ、ダメでしょ。こっちに来なさい」
やっと追いついたお母さんが、僕とおじいさんに軽く会釈をしながらマリちゃんの左腕を掴むと、僕から引き離そうとした。
ほっそりというか、やつれ細っている感じのお母さんだった。
(ホッ、助かった…)
そう思ったのも束の間だった。
「いやいやお母さん、良いのじゃよ。そのままで」
「いえ、でもご迷惑でしょうし…」
「迷惑じゃなんてとんでもない。どうかお嬢ちゃんをそのままで」
「でも、あのう…」
躊躇するお母さんに、{いいでしょ?}と言う感じで、マリちゃんが訴えかけている。
それを後押しするように、おじいさんがお母さんに頷きながら微笑んだ。
「あ、はい…」
申し訳なさそうにお母さんが返事をした。
どうやら観念した様子だ。
でもそれと同時に、僕も観念しなければならないようだ…
(おじいさんは僕に、この質問に答えろっていうのか?… 無茶だ…)
そう思ったか思わないかの瞬間、
「お兄ちゃん、どうしてマリちゃんには右腕がないの? どうして?」
マリちゃんの質問が、僕の耳に飛び込んできた。
マリちゃんが僕の腕をギュっと掴んで見つめてくる。
(む、無理だ… 今まで学んだことでなら説明できる。でも、こんな小さな女の子に…、絶対に言えない。どうしたらいの兄ちゃん)
なぜか僕は、もう会うことのできないケンゾー兄ちゃんのことを思い浮かべていた。
そして電池が切れゆくオモチャのように、思考停止してしまった。
そんな僕を見かねたお母さんが、
「あ、あのう… やっぱり…」
と言いかけたけど、その言葉をおじいさんがさえぎった。
「どれどれ、お嬢ちゃん、ワシが教えてあげようかのぉ」
「えッ?」
僕とお母さんとマリちゃんの3人が、ほぼ同時に驚いた。
僕の驚きは、{おじいさんが答えを直接言うなんて初めてのことだ。いったいどんな風にこの難題を解決するんだろう?}っていう驚きだったけど、お母さんは違った驚きのようだ。
その表情や眼から、変な宗教の勧誘か?… あとで壺やら水晶やら売り付けられるんじゃないだろうか?…という疑いに満ちたものだった。
まぁマリちゃんは、駄菓子屋のクジ引きで1等賞をピッと引き当てたかのような感じで眼をキラキラさせながら、みんなの顔を見渡してたけどネ。
「ホントにおじいさんが教えてくれるの?」
そのマリちゃんの声色からは、疑ってる様子は微塵も感じられない。
子どもらしい{早く、早く}という感じだけが伝わってくる。
「ああ、ホントじゃとも。ほれ、お母さんも安心しなさい。ワシは、何かを押し付けたりはせんのじゃから」
「…あッ、はい」
お母さんの表情がフッと和らぐと、興味津々におじいさんに2、3歩ほど近寄った。
(一瞬でお母さんが… さすがだな、おじいさん。でも、どんなこと話すんだろう)
僕も興味津々だ。
「では、お嬢ちゃん… 聞く用意はいいかな?」
「うんッ」
そして、おじいさんの話が始まった。
でもだ…
僕は、おじいさんが話したその内容に、違う意味で驚愕した。
**********
おじいさんの話が終わった。
マリちゃんは、キラキラの眼を一層キラキラさせている。
でも、その横でお母さんは泣いていた。
話の途中から眼に涙を溜めて聞いていたお母さんは、話が終わった今、片膝を地面につけ、両手で顔を覆うようにして泣いている。
「お母さんどうしたの? どこか痛いの? 悲しいの?」
泣いてるお母さんを見たマリちゃんが、お母さんの肩にそっと手を置いて心配そうに顔を覗き込んだ。
でもお母さんは、涙と鼻水で答えられないようだ。
悲しい眼をしたマリちゃんが、おじいさんに訴えかけてきた。
「おじいさん、どうしてお母さんは泣いてるの? おじいさんがイジメたの?」
「ワシは、お母さんをイジメてなんかはおらんよ」
「じゃぁ、なんでお母さんは泣いてるの?」
おじいさんは、限りなくやさしく、ゆっくりとした口調で答えてあげた。
「思い出したからじゃよ。お母さんはたった今、思い出したんじゃよ」
「えッ、お母さん、思い出したの?」
マリちゃんが驚いた表情でお母さんを見ると、お母さんは声にならない声で、
「うん… お母さん、思い出したよ… たった今、全部思い出したよ」
グシャグシャな顔だったけど、精一杯の笑顔を作って愛娘に答えていた。
マリちゃんは、何がなんだかわからないキョトンとした表情をしてる。
そんなマリちゃんを見たおじいさんが、そのワケを説明し始めた。
「人は、うれしいときにも泣くものなんじゃよ。歓喜の涙という涙でな」
それを聞いたマリちゃんは、キョトンとした表情から、キラキラの笑みに変わり、
「じゃぁ、マリも思い出したい! どうすればいいの? どうやったらいいの? ねぇ教えて!」
と、おじいさんを捲し立てた。
するとおじいさんが…
まただ…
「黙って座っておる、横のお兄ちゃんに聞くとよいじゃろ」
って、僕に振ってきた。
(げッ! こんな振り方があるかよ…ったくもう。途中からバトンタッチって… でも、まぁいっかな。マリちゃん用に少しアレンジすれば、なんとかなるだろ)
おじいさんとしょっちゅう会話してきたし、以前に習ったことがある事だったので、案外簡単なことだった。
「おいでマリちゃん、思い出し方を教えてあげるよ」
「うんッ、教えて教えて!」
やっぱり子どもは、笑顔で元気が一番だ。
特に興味を示したときの眼差しは最高だ。
この懐かしい感じ…
僕はそのとき、遠くに引っ越していったサっちゃんを思い出していた。
その2人のかわいらしさが、愛しさとなって僕の胸にじんわりと温かいものを広げていった。
「じゃぁマリちゃん、教えるけど用意はいいかな?」
「うんッ」
お母さんも穏やかな笑顔で、僕に注目してる。
そんな中、僕の話が始まった。
**********
「思い出す方法は、3つあります。
・1つ目は、本を読んだりしてお勉強をたくさんすること。ん~、マリちゃんはまだ小さいから、お母さんに絵本をたくさん読んでもらうことかな?
・2つ目は、お外でお友だちと、たくさん遊ぶこと。
・3つ目は、いっぱいやってみて、たくさん考えること。
この3つをチャンとやれば、マリちゃんならきっと思い出せるよ。わかったかな?」
「うんッ、わかったぁ~!」
マリちゃんが、お母さんの周りを弾けるようにピョンピョンと跳ね回った。
うれしそうに飛び跳ねてるマリちゃんを見ていると、今度はお母さんから質問が出た。
「あのぉ、さっそく今から本屋に行って絵本を買って帰ろうと思うのですが、何かいい絵本はありますでしょうか? どんな絵本を選べばいいんでしょうか?」
マリちゃんとそっくりな眼で、僕とおじいさんの顔をキョロキョロと見てきた。
(ありゃまぁ、さっきまでのお母さんとは全く違うな。ハリがあるっていうか何というか、こんなにチャーミングなお母さんだったのか… ハハハ)
僕が感心していると、おじいさんがニヤついた目配せをしてきた。
(なにその眼… この質問にも僕が答えろってか?… まあいいや、やってやろうじゃないか!)
眠っていた僕の{おませ}と{おセンチ}が甦ってきた。
(ん~ッ、良い絵本? 良い絵本とは? んッ? そうだ!)
過去を探って思い立った僕は、受け売りだったけど、静かに、でも少し気取ってお母さんの質問に答えた。
「絵本はどんな絵本でもいいんですよ。お母さんがマリちゃんのことを大切に思って読んであげるなら、すべての絵本は、良い絵本になるんですから」
チョット、いや、かなりテレ臭かったけど思い切って言ってみた。
するとお母さんの眼が、何かを悟って開眼したかのようにフワッと開き、
「はい!」
という返事を僕にした。
ずいぶん年下の、この僕にだ。
肩に力が入ってるワケでもなく、気負ってる感じもしない、この{はい}と言う返事…
ただ、内に秘めた決意だけが伝わってくるこの返事…
僕は、こんなにすごい{はい}という返事を初めて聞いた。
その返事に圧倒されていると、おじいさんが、
「日が傾いてきたな…」
とつぶやいた。
(雰囲気の切り方がホントにうまいよな…)
僕はそう感心しながらマリちゃんとお母さんを見ると、それを察したお母さんがマリちゃんに話しかけた。
「よしッ、それじゃぁ今から絵本を買いに行こうか。マリ」
「うん、お母さんッ」
「それでは今から本屋に行きますので、お先に失礼します。マリ、おじいさんとお兄ちゃんにさよならは?」
「バイバイ、お兄ちゃん。バイバイ、おじいちゃん」
マリちゃんとお母さんは手をつなぐと、何度も振り返り、{ありがとうございます、ありがとうございます}というように、頭を下げながら帰っていった。
小さくなっていくマリちゃんのバイバイに手を振って応えていると、
「少年よ… さっきのお主の絵本の話、聞いてるこっちが恥ずかしかったぞ」
と、おじいさんがからかってきた。
僕は顔から火が噴き出すどころか、火山が噴火したような恥ずかしさに見舞われた。
顔が自分の顔じゃないみたいに、ポッポ、ポッポと熱い。
「やめてよ、その話。おじいさん、もう降参するからさ。おねがいッ!」
僕は真っ赤な顔を見られないように、おじいさんに背を向けてマリちゃんたちに手を振り続けた。
「少年よ」
「んッ、なに? おじいさん、まだからかう気?」
面倒くさそうに返事をした。
「いやなに、よくあの3つの方法を覚えておったもんじゃと思うてのぉ」
(なんだ、あのことか…)
「うん、そりゃ良く覚えてるよ。包丁の話でしょ。包丁は、本を読んだだけじゃ使えない。実践が必要だ。でも、上手に使いこなすには勉強しなくちゃいけない。そしてその包丁は、美味しい料理を作ることも、人を殺すこともできる。だから心を鍛えて使い方を考えるんだ。3つのうち、どれが欠けてもダメなんだってね」
「ふむ.。しかし、よくぞあの場面で使えたのぉ。うんうん」
「おじいさんに鍛われているからね。ヘヘッ」
「フォッ、ホッ、ホッ、それはそれは光栄なことじゃのぉ」
「でも、おじいさんにはかなわないよ。なんじゃかんじゃと言いながら、今の親子のことでも、最後は僕に花を持たせてくれたでしょ。ありがとね」
テレ臭かったけど、さっきのに比べりゃぁ屁でもない。
「ほぉ! そこまで読むとは、お主もやるようになったもんじゃのぉ」
「アハハハハ」
「フォッ、ホッ、ホッ」
これでなんとかおじいさんと話をすることができたので、少しホッとした。
でも、さっきのおじいさんの話が引っ掛かったままだ…
(やっぱり聞かなくちゃいけない…)
僕は臆せずに、おじいさんに聞いてみようと決心した。
**********
「ねぇ、おじいさん、さっきのおじいさんの話のことなんだけどさぁ」
「ふむ、なんじゃな? 遠慮せんで言うがよい」
そう言ったおじいさんからは、{待っておったぞ}という雰囲気が伝わってくる。
「あの話って… ホントのこと… 真実じゃないよねぇ?」
「どういうことじゃな?」
「作り話… つまりウソってことだよねぇ?」
「だったら、どうなのじゃな?」
「真実とウソ… つまり、ウソも方便ってヤツで必要だってことなの?」
暫しの沈黙が流れたあと、おじいさんが口を開いた。
「では少年、お主の今の質問に対して、ワシが何と答えるかわかるかのぉ?」
ゆっくりで穏やかだけど、少し険しさが漂う口調での逆質問が僕に降りかかった。
(おじいさんが、僕の質問にどう答えるかだって? なんて答えるんだろう、想像もつかない…)
僕はじっくり考えてはみたものの、サッパリわからなかった。
「わからないよ… おじいさん」
それを聞いたおじいさんは、白髭を撫でながら溜息をつくように口を開いた。
「その通りじゃよ。ワシもわからん」
「えッ、おじいさんにもわからないことがあるの?」
「そうではない。お主の質問が、質問の体を成していないからじゃよ」
「しつもんのてい?」
(僕のした質問って質問になっていないのか? 何がだ… どこがなんだ?)
脳内回路の電流が迷走しだした。
こんなパニックは初めてだ。
「おじいさん、頭が混乱して、まったくわからないんだけど…」
僕は土砂降りの雨の日に、迷子になった子犬のように助けを求めていた。
おじいさんは、そんな僕を優しく見つめると、
「そうじゃろうて。本来なら、第2段階を終えるころに考えることじゃからのぉ」
と言って、救おうとしてくれた。
でも僕は、自分から助け船を求めたのに、
(そんな慰めなんかはいらない。僕は知りたいんだ!)
そんな気持ちが沸き起こり、それが全面に溢れ出てきてしまった。
「教えて! おじいさん!」
噛みつくような感じで聞いていた。
おじいさんも、僕の全身から吹き出すモノを感じてか、
「ふむ、迷うところじゃが、今日の親子の出来事といい、さきほどのお主の質問… きっと何かがあるのじゃろう。…よかろう、まぁ、キッカケだけじゃがのぉ」
そう言って、キッカケだけでも話すことを決めてくれたようだ。
そしておじいさんが、ゆらりと立ち上がった。
その背中に、悲哀にも似た覚悟を漂わせながら、おじいさんが話しはじめた。
僕の刻み込まれたモノに、語りかけるように…
そして目覚めるようにと…
「少年よ…。お主は真実というものを… 取り違えておる」
おじいさんはそれだけを話すと、夕日に吸い込まれるように帰っていった。
公園に取り残された僕は、そのまま身じろぎもせず…
ただ…
ただジッと川面を見つめ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
しばらくして夕日が映る川面に、小さな魚がピチャッと跳ねる音だけが響いた。
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【質問】
~ どうして わたしには 右腕がないの? ~
アナタナラ ナントイッテ アゲマスカ?
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※おしらせ※
おじいさんがマリちゃんに話した内容は、すべてカットしてあります。
その理由は、その部分については文章では表現するよりも、絵本で表現した方が、より読者のみなさまに伝わりやすく、また理解して頂けると思ったからです。
ということで、そのお話の部分はタイアップで絵本として製作していただけることになっていますので、暫くお待ちくださいませ。
発売できる段階になりましたら、当サイトで報告いたしますので、どうぞお楽しみに。
【少年編《12》刻み込まれたモノ】おしまい。