第1話から読んでない方はホームからどうぞ。
なんだか妙な気分だ。
小学校に上がったら、{あんなことしよう、こんなことしよう}って友だちと話しながら、期待と想像を膨らませていた。
ボクも、そしてみんなも、早く卒園して小学校に上がるのが楽しみだったハズだ。
卒園するといっても、みんなが離れ離れになるワケじゃない。
みんな揃って同じ小学校に通うのに…
そんなこと知っているのに…
そんなことわかっているのに…
なぜだかわからないけど、みんながどこか遠くへ行ってしまうような感覚だった。
みんなの笑顔も、そんな感じの笑顔に見える。
ユウコ先生に捕まったボクとムーちゃんは、式場に入っておとなしくしていた。
式場といっても、お外に出れない雨の日に遊んだりする場所で、お遊戯会や発表会なんかもやっていたところだった。
周りを見渡すと、みんなもおとなしくしているようだ。
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♪~♪~~♪♪♪~~
やわらかくてやさしい音楽が流れ始めた。
ガラガラ…
扉が開く音がして、荷物を持った先生たちが入ってきた。
マチコ先生が黒いお盆を持って、静々と歩いて園長先生の横に並ぶ。
(あの黒いお盆の上に、卒園証書が置いてあるんだろうな…)
そんなことを思っていると音楽がゆっくりと消え、卒園式が始まった。
まずは、園長先生の式の始まりの挨拶が、静まり返った会場に染み入るように響いた。
次に、壇上に上がったユウコ先生から名前を呼ばれた園児が、ハイッと元気な声を会場に響かせ、キビキビと歩いて壇上に向っていく。
みんなかっこいい。
壇上につくと、向き合ったユウコ先生がマチコ先生が持っているお盆から卒園証書を取りだして、ゆっくりと大きな声で読みあげて手渡していく。
ひとりずつ丁寧に。
このとき、この保育園ならではのルールがあった。
卒園証書を受け取ったら、壇上に立ったままクルッとみんなの方に反転して、
{卒園出来ました。これからもっと頑張りますのでよろしくお願いします}
という思いを込め、卒園証書を両手で高く掲げて参列者に見せなければならないのだ。
そうすると、うしろの席のお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばぁちゃん、この会場に入りきらなかった近所の人たちまでもが、拍手をしながら温かく{おめでとう}って言葉をかけてくれる。
すごく誇らしくて、ひとりひとりが主役になれる瞬間だった。
**********
やっとボクの番が来た。
ボクは卒園証書を受け取ると、クルっとみんなの方に向き直って、自慢するように思いっきり卒園証書を掲げた。
シーーーン…
「・・・・」
(あれッ??? 拍手もおめでとうも何もない…、どうしたんだろう?)
そう思ったときだった。
会場の外にいた近所のおじちゃんから、
「お~い、卒園証書が裏返しになってるぞ~ッ、もう一回、保育園やりなおせ~ッ」
と、ヤジが入ると思いきや、ドッカ~ンと会場の内と外で笑い声が響いた。
そう…、ボクはあろうことか卒園証書を裏返しにせず、そのまま掲げてしまっていたので、裏の真っ白な部分を堂々と見せてしまっていたのだ。
やってしまった…
(ちくしょう、笑われてる。どうしよう…んッ、笑い? そうだッ!)
ボクは、そのままクルッと反転して、みんなに背を向けた。
これで卒園証書の文字は、会場のみんなにバッチリ見える。
そしてボクは背を向けたまま、顔だけを正面に向けて、みんなにニカッと歯を見せた。
すると今度は、
「アッハッハッ、いいぞボウズ! その調子だ!」
と、笑い声や指笛やらが入り混じった拍手とおめでとうが会場に渦巻いた。
父ちゃんも朗らかに、{しょうがねぇヤツだな}って感じで拍手をしてくれてる。
(よっしゃぁ! ひと笑い取ってやったぞ! 新技だッ!)
笑われる→〇 にしたボクは、意気揚々として壇上から降りていった。
壇上から降りながらチラッとみんなを見ると、ムーちゃんが目を見開いてボクにサムアップしているのが目に飛び込んできた。
エミちゃんもボクに向かって、小さくだけどピースサインを送ってくれている。
ボクはそれを見て、ムーちゃんにはサムアップで、そしてエミちゃんには親指で自分の鼻をピンッと弾いて応えた。
**********
そのあとは、ボクたちの成長記録のスライド写真を見たり、歌を歌ったりした。
歌は案の定、歌がポンコツなムーちゃんの独壇場だった。
当然、みんな壊滅…
ムーちゃんの歌を初めて聞いたと思われる近所の人たちが、目をまん丸にして口をポカンと開けているのが見えた。
(だろうな…)
ボクは近所の人たちを見渡したあと、父兄の席に目をやると、ムーちゃんのお母さんが下を向いているのが見えた。
(だろうな…)
**********
そんな楽しい卒園式も、そろそろ終わりに近づいてきた。
園長先生が壇上に向う。
これで最後だ。
「みなさん卒園おめでとう。これからみなさんは、この保育園を巣立って小学生になります。みなさん、いつまでも明るく、そして元気に頑張ってくださいね」
それからも園長先生の話が淡々と続いた。
そして…
「それからもうひとつ、みなさんにお知らせすることがあります」
(んッ? お知らせ? なんだ?…、そんなの卒園式の練習にはなかったぞ)
みんなで顔を見合わせたけど、誰も知らないみたいだ。
「今日、みなさんと一緒に、この保育園を卒園する方がいらっしゃいます」
「・・・?」
みんな押し黙って耳を澄ました。
「このたびマチコ先生が、お嫁さんになって遠いところに行ってしまいます。ですから今日でマチコ先生は、この保育園をみなさんと一緒に卒園します」
「・・・・」
時間が止まった…
いや、時間だけじゃない、すべてが止まった…
ボクたちはもちろん、会場の内も、外も…
「さぁ、マチコ先生、みなさんにご挨拶を」
園長先生が壇上から降りて、マチコ先生の背中を壇上の方へ、そっと押しやった。
マチコ先生が、必死で笑顔を作りながら壇上へ向かっている。
ボクたちは、何が起こっているのか…
今から何が起ころうとしているのか…
まったくわからない状態だった。
壇上に立ったマチコ先生は、眼に溜まった涙がこぼれないように、まばたきをしないで歯をグッと食いしばっている。
ハンカチをギュッと握った手も小さく震えている。
「今日 先生は み、みなさんと 一緒に… 」
マチコ先生が声を詰まらせた。
そしてもう一度、
「今日 先生は み みなさんと一緒に この 保 育園 を 」
マチコ先生の眼から涙があふれて、ふらふらとよろめいた。
泣き崩れそうになったマチコ先生を見て、ユウコ先生が駆け寄る。
ユウコ先生は、マチコ先生の両肩をシッカリと掴むと、
「マチコ先生ッ しっかりッ !」
マチコ先生の肩を小さく揺らしながら、小声でささやいている。
そのユウコ先生も 泣いていた。
ボクは、いや、みんな…、夢の中にいるようだった。
でもだ…
「・・・{!}」
(何やってんだ? マチコ先生もユウコ先生も、勝手に何やってんだッ!)
ボクの中に、怒りにも似た感情が沸き起こった。
そのときだった。
ガタッ!
エミちゃんが勢いよく席を立った。
「…な なにそれ? なんなのよ、それ… ねぇマチコ先生 なんなよのそれ… ねぇってばぁ!… なんなのよそれって聞いてんのよッ! マチコ先生ッ!… ユウコ先生もそんなとこで何やってんのよ! ねぇッ!」
エミちゃんが叫んだ…
胸と肩で大きく息をしている。
そして…
カッ、と見開いたままのエミちゃんの瞳から、大粒の涙がスーッと流れ落ちた。
マチコ先生は、エミちゃんのその涙が床にポタッと落ちるのと同じように…
その場に崩れていった…
それを見たボクたちは、一斉にマチコ先生のところに駆け寄った。
ユウコ先生に寄り添われ、ペタン と座り込んだマチコ先生のもとに駆け寄った。
マチコ先生は、両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いていた。
「マチコ先生」 「マチコ先生」
「マチコ先生」 「マチコ先生」
「マチコ先生」 「マチコ先生」
「マチコ先生」 「マチコ先生」
みんな泣きながら{マチコ先生}という言葉だけを繰り返していた。
遊びに来ても、もう呼ぶことのできない{マチコ先生}という言葉を…
もう二度と呼べない{マチコ先生}という名前を…
惜しむように…
大切に…
みんな泣きながら繰り返していた。
ボクも{マチコ先生}と呼び続けた。
でも泣かないように、あふれそうな涙を必死にこらえながら呼び続けた。
するとユウコ先生が、涙でグシャグシャになりながら、
「マチコ先生…、ほらッ みんなが…」
そう呼びかけた。
ジッと…、いや、グッと見つめる眼差しで…
その呼びかけに、顔を上げてボクたちを見たマチコ先生が…
歯を食いしばっていたマチコ先生が…
あのシッカリ者のマチコ先生が…
声を上げて 泣いた
その声を聞いたら、もうダメだった。
ボクもこらえきれず…泣いた。
会場の内も、外も、みんな…
しばらくたって、園長先生がゆっくりと近づいてきた。
「さぁ、マチコ先生…、みんなに挨拶しましょう」
園長先生はそう言うと、マチコ先生の肩にそっと手を置いた。
「はい、園長先生」
涙を拭いながら立ち上がるマチコ先生を、ユウコ先生が支えた。
「みんな…、席について…」
そのユウコ先生の声が、夢を見ているように遠くに聞こえる。
ボクたち、そしてユウコ先生も、涙を拭いながら自分の席に戻った。
「みんな、泣くのはもうおしまいよ。笑顔でマチコ先生と一緒に卒園しましょう」
ユウコ先生は涙を拭きながら、無理やりに笑顔を作ろうとしていた。
そんなユウコ先生を見て、ボクたち、いや、全員が同じように笑顔を作った。
唇を、グッと噛んで…
マチコ先生も、少し涙がこぼれているけど笑顔になっていた。
そして、マチコ先生のお別れの挨拶が始まった。
「先生は、お嫁さんになって遠くに行きます。だから先生も、みなさんと一緒にこの保育園を卒園します。先生、大好きなみんなのことは、ずっとずっと忘れません。先生も、今よりも、もっともっと頑張っていきます。みなさんも、今よりも、もっともっと明るく元気でいてください。みなさん、今まで本当にありがとうございました」
マチコ先生が、自分自身の卒園式を締めくくるように深々とお辞儀をした瞬間、それまで静かだった会場の内と外から拍手が一斉に上がった。
パチパチパチパチ パチパチパチパチ
みんな涙をこぼしながら、クシャクシャな笑顔で拍手を送っている。
ずっと鳴り止みそうにない拍手の中、もう一度マチコ先生がみんなに丁寧にお辞儀をして、壇上から降りようとしたそのときだった。
「みなさん、チョットいいですか?」
園長先生の声だ。
やさしくて、まるい声だった。
それを聞いたユウコ先生が、両手を広げ、上から下に降ろした。
それは{静まれッ、止めッ}の合図だ。
ボクたちは、ピタッと拍手をやめて園長先生に注目した。
「マチコ先生、そのまま壇上にいてください」
園長先生がそう言うと、壇上から降りようとしていたマチコ先生が、{えっ?}という感じで立ち止まった。
ボクたちも{えっ?}という感じでいた。ユウコ先生もだ。
会場が静まるのを確認した園長先生が、ボクたちの方を見て話しだした。
「これで卒園式は終わります。そこでみなさんに提案があります。卒園式最後の挨拶を、みなさんがいつもやっていた{帰りの挨拶}に変更して行いたいと思います。それで、その最後の挨拶を、マチコ先生にやってもらおうと思いますが、みなさんいかがですか?」
「!」パチパチパチパチ
いの一番にユウコ先生が拍手した。
ありったけの思いを込めるように、マチコ先生に拍手を送っている。
反対する者なんか、いるはずがない…、いるワケがない。
会場の内も外も、ユウコ先生に続け!とばかりに、マチコ先生に盛大な拍手を送った。
パチパチパチパチパチパチパチ
割れんばかりの拍手の中、壇上でマチコ先生が片手で口を塞ぎ、もう片方の手を顔の前で{ムリムリ、ダメダメ}という感じで振っている。
それでも拍手は鳴り止まない。
マチコ先生が{本当に私がやるんですか?}というふうに、園長先生の顔を覗き込むように見つめた。
園長先生は、まぶたをゆっくり上げ下げしながら、{おねがいしますねマチコ先生}という表情で大きく頷きながら、柔らかい拍手をマチコ先生に送っている。
ユウコ先生も拍手の合間に、マチコ先生の肩をポンポンと叩いて励ました。
この鳴り止まない拍手の中、やっと覚悟ができたみたいだ。
マチコ先生が壇上の中央に戻り、ボクたちに向き直った。
そこでユウコ先生の{静まれッ止めッ}の合図が出たので、全員ピタッと拍手をやめて、静かにマチコ先生を待った。
マチコ先生は、モジモジしながら申し訳なさそうに話し始めた。
「えっと、それでは、園長先生や、みなさんの御好意に甘えさせて頂きます」
ユウコ先生が{相変わらず固いなぁ}という感じで、鼻からひとつ息を抜いた。
そのユウコ先生を見たマチコ先生が、クスッと照れ笑いの表情を見せたあと、エヘンッ と咳払いをした。
さぁ、最後の挨拶の始まりだ。
「それでは、みなさんいいですかぁ~ッ」
「はぁ~いッ」
「きり~つッ」
ボクたちみんなは、ピッ と席の横に立ち上がり、指をまっすぐに揃えて ピシッ と立った。
「あッ…、みなさん、チョット周りを見てみてください」
突然のマチコ先生のその言葉…、ボクたちは周りを見てみた。
お母さんやお父さん、会場の外の人たちまでもが、ピシッ と起立しているのが見えた。
ボクも、みんなも、全員ニッコリと笑っている。
(みんな、同じ気持ちなんだ…)
マチコ先生は、爽やかな笑顔でみんなを見渡したあと、あらためて最後の挨拶を始めた。
「では、みなさん、いいですかぁ~ッ」
「はいッ」
「では、いきまぁ~す!」
「・・・・」
「さんッ、はいッ」
せんせい さようなら
みなさん さようならッ
この日、ボクは生まれて初めて、チャンと挨拶ができたような気がした。
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【質問】
アナタハ アイサツヲ トドケテ イマスカ?
アナタノ アイサツハ トドイテ イマスカ?
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【幼年編《12》卒業式】おしまい。
・第1部「幼年編」はこれにて終了。
・第2部は少年編です。
【少年編《01》要注意児童】へ