第1話から読んでない方はホームからどうぞ。
やっぱり中学校も同じだった。
いつもカリキュラム通りに事が進んでいく。
違うことといえば、制服を着ることや科目のたびに先生が変わること、あとは保健体育の授業が、男女別々になったことくらいだ。
そんな、なんてことない毎日がダラダラと続くので、僕は少し飽き飽きしていた。
(中学校に入学して3ヶ月経つけど、おじいさん元気にしてんのかな?)
卒業、入学と、ここ最近ドタバタしてた僕は、しばらくおじいさんに会っていなかったので、久しぶりに下の川へ行ってみた。
(やっぱりいる… おじいさん、こうしていつも僕のこと待ってんのかな?)
釣りをしているおじいさんの背中を見ると、なんだか申し訳ないような気がしてきた。
「おじいさん、久しぶり」
「おぉ、少年か。制服を着ておると、見違えるようじゃのぉ」
「相変わらず、くすぐるのが上手いね」
「フォッ ホッ ホッ」
「アハハハハ」
「中学校はどうじゃな?」
「こんなもんかな? って感じだよ」
「ふむ、そうか… 少年には少し退屈な場所のようじゃな」
「う~ん、退屈っていうか、なんていうか… スカッとしないんだよね」
「スカッとか… どんなふうにじゃな?」
「なんて言っていいかわかんないけど、モヤモヤするんだよ…」
「ほぉ、モヤモヤか… ふむ」
おじいさんが、何かを確認したかのように頷いた。
僕は、そのモヤモヤの正体がわからないまま、その頷きに解決の糸口を求めた。
「ねぇおじいさん、このモヤモヤを解消する方法ってないの?」
「解消というわけではないかもしれんが、ひとつ聞いてもよいかのぉ?」
「うんいいよ。なに?」
「これまでお主は、動機と表現が一致しないことがあることは学んだのじゃな?」
「うん、なんで一致しないのかは、自分がカッコよく見られたいとか、良い人に思われたいとか以外、まだよくわかんないけどね」
「ふむ、では、動機と表現が一致していないときは、どんな感じじゃな?」
「なんていうか、自分の中に、自分が知らないもうひとりの違う自分がいて… ん~と、実は、そいつが僕を操縦してた… みたいな感じかな?」
「ほぉ、おもしろい表現じゃのぉ。そうか、違う自分が操縦か…」
「うん、よくわかんないけどね」
僕はそう言いながら、足元にあった小石を向こう岸に生えてる大きな木にめがけて、思いっきり投げた。
コーーーン
小石が木に当たって、生乾きの音が跳ね返ってくる。
おじいさんは、その音が合図だったかのように僕をジッと見つめてきた。
「なに? おじいさん」
「ふむ、では中学校のお祝いでもするかのぉ」
「お祝い? また言葉のお祝い?」
「そうじゃよ。6年前のお祝いは覚えておるかの?」
「よく覚えてるよ。まだよくわかってないんだけど、もしかしてその答え?」
「答えではないが、関係は多いにあるぞ。これから先もな」
(・・・・)
僕は、今のモヤモヤが解消されるかもしれないという事より、なんだか知らないけど、おじいさんの{これから先}という言葉が気になった。
「うん、おじいさん教えて。シッカリ聞くから」
「うむ」
僕が身を乗り出して詰め寄ると、おじいさんが儀式を始める前の準備をするかのように、釣竿を丁寧に片付けだした。
その横顔からは、{遊びはここまでじゃ}という感じがヒシヒシと伝わってくる。
(タダごとじゃないぞ… これは…)
僕の興味が不安に変わっていった。
ひと整理がつき、竿袋のシワを清めるように伸ばすと、スッ…と振り返ったおじいさんから、{用意はいいか?}という眼光が放たれた。
僕はドキッとしながらも、{お願いします}と言うように背筋を伸ばし、身を正した。
「では、モヤモヤがどうなるかはわからんが、シッカリと受け取るんじゃぞ。よいな」
「うん、わかった」
おじいさんが念を押してきた。
緊張と不安が交錯する。
(でも、モヤモヤがどうなるかはわからないって、なんでそんなことを…)
そんなピリピリとした中、おじいさんのお祝いが始まった。
とてつもなく重大なお祝いが…
**********
「人はじゃ、
① 自分は、良い人間じゃと思うておる。
② 自分は、正しいと思うておる。
③ 自分は、ソレより、そして平均より上じゃと思うておる。
このことを、よく覚えておくのじゃぞ。少年」
そう言うと、おじいさんは静かに僕の反応を待った。
(んッ? コレって… もしかして…)
僕の思考回路が慌ただしく動き出し、僕自身の中にある深い闇に強制ダイブさせた。
今までずっと蓋をしてきた闇に、僕はドップリと潜った。
どんよりと流れるような闇の奥底にたどり着くと、薄気味悪い光がぼんやりと見えた。
「!」(コレって、まさか!)
ハッと気づいた僕は、おじいさんに確認するように尋ねた。
「おじいさん、コレって動機の… なんていうか、前提だよね? 動機の一部分、いや、動機の大半を占めるかもしれない、根底みたいなモノだよね?」
「ふむ、前提、根底か… そうと言えば、そうじゃのぉ」
僕が、奥底の光に逆らうように戻ろうとすると、おじいさんは{まだまだこれからじゃ}という眼で重々しく続けてきた。
「ほかには、何があるのかのぉ? 少年よ」
おじいさんの問いかけは、戻ろうとする僕をさらに深く潜り込ませた。
その闇の奥底で溺れるようにもがいていると、何か得体の知れない黒い物体に ガツンッ とぶつかった。
(な、なんだ? コ、コレは…)
あまりにも大きすぎて視界には入りきれないその黒い物体は、僕の眼の前でドクドクと脈を打ちながら、呼吸するように薄気味悪い光を放っていた。
(コレって…)
「どうしたのじゃな? 言ってごらん」
おじいさんの声が、怯えた胎児のようになっている僕に、こだましながら届く。
僕は感じたままを、ほだされるように口を開いて答えた。
「よくわからないけど… 生み出すモノの…原因のひとつ…だ…よ」
「ほぉ、少年よ、そこまで潜っておったか… うむ」
おじいさんは頷くと、少し間をおいて手を差し伸べるように質問をしてきた。
「では少年、その生み出すモノとやらに、どんな感覚を持っておるのじゃな?」
「イヤなもの… 汚いモノ… そんな嫌悪感みたいな感情だよ」
「ふむ、そうか… ほかには?」
「今のこの僕の嫌悪感みたいな感情って、実は違うってこともわかってるんだよ。でも、それがなぜ違うのかが説明できないんだ。でも今の僕は、そう感じてしまうんだよ…」
おじいさんが会話をしながら、僕を闇の底からゆっくりと浮上させていく。
「おじいさん、僕どうしたらいい?」
「どうするもこうするもない。今はそれでいい… 今はそれで良いのじゃよ」
おじいさんの言わんとすることが、なんとなくわかった。
今の僕に必要なことは、たっぷりとした考える時間…
ただ、それだけだった。
(でもなぜだ? なぜ違うんだ。 アレはいったい…)
おじいさんが、また闇に潜りそうになっている僕を引き戻すように話してきた。
「人は、自分は良い人間じゃと思うておる。人は、自分は正しいと思うておる。人は、自分はソレより、そして平均より上じゃと思うておる。この3つで、人を観察してみればよいいや、なによりコレで自分自身を探ってみればよい。そしてコレを… うむ、そうじゃな…{3つの常}とでも名付けておくとするかのぉ」
「3つのツネ?」
「そうじゃ、3つの常じゃ。どうじゃな少年?」
おじいさんの顔は、いたずらっぽい笑顔になっていた。
そのおじいさんの表情につられてホッとするように笑うと、さっきまであったモヤモヤがスーッと晴れていくのを感じた。
でもそのかわり、イヤな感情が僕の中に入ってきた。
あの嫌悪感だ。
しかしその嫌悪感は、モヤモヤよりはマシなのは不思議だった。
(なんでだろう? モヤモヤはないけどイヤな感情はある。でもスッキリしてる…う~ん)
考えていると、おじいさんが驚かすような大きな声でこう言った。
「見えたからじゃよ」
ビクッとした。
(んッ? 何が?… 見えた? 僕が?)
「僕、何が見えたの?」
「向かっていく方向を… 見失わない大切なモノをじゃよ… じゃぁな、少年」
(???)
僕の眼を見たおじいさんは、僕が完全に戻ってきたのを確認すると帰っていった。
**********
(おじいさんって、霊能力者か何かなのかな? なんだか僕をホントに見透かしている気がする。でも前にシッカリ見て、眼を逸らすなって言ってたよな?)
闇から戻ってきた僕は、さっきのことを思い出すと怖くなってきた。
でも、おじいさんの言った{これから先}という興味は、怖いもの見たさという興味を織り混ぜながら、僕を闇の奥底へと駆り立てていく。
しかし、あの黒い物体の内部までは見る勇気がない僕は、まずは表面からやってみようと、遠目から3つの常を使って総ざらいしてみることにした。
イライラする、落ち込む、腹が立つ、気が滅入る、恐怖する、言い訳する、そしてまたイライラする...
考えれば考えるほど、これを延々と繰り返すハメになってしまった。
(抜け出れん… まだ表面だけなのに…。こりゃぁ、一筋縄じゃいかんぞ…)
どうやら僕は、とんでもないシロモノを受け取ったようだ。
それからの中学校での生活は、苛立っては落ち込む、落ち込んでは苛立つ、という出口のない葛藤の日々となってしまった。
そうすると僕は、とにかく学校での友達との会話や、先生との会話でさえ、イヤになってきてしまった。
横で友だち同士が話しているのを聞いても腹が立ってくる。
でも耳を塞ぐことができなかった。
いや、しなかったと言った方がいいだろう。
好きとか嫌いとかの理由じゃない。
ただそんなの関係なしに、僕が学ばなければならないモノがそこにあるからだった。
僕の中に潜む、もう一人の僕はいったい何なのか?
それによって生み出されるモノが何なのか?
このことを見極める必要があった。
こうして僕は、みんなとは少し違う反抗期を迎えてしまった。
らしい・・・
**********
それから3ヶ月ほどしてからのことだ。
「ねぇおじいさん」
「なんじゃな?」
「3つの常で人を見ると、腹が立ってきてしょうがないんだけど…」
「フォッ、ホッ、ホッ、腹が立つか、ふむふむ」
そう言うとおじいさんが、興味深げに僕の顔を覗き込んできた。
「ふむ、何に腹が立つのかのぉ?」
「んと、なんていうか…、みんなが言いワケする偽善者に見えてくるんだよ」
「ほぉ、言いワケする偽善者か… たとえば、どんなことじゃな?」
「不良がガリ勉をバカにして、ガリ勉が不良をバカにしてんの。その会話ときたら、3つの常のオンパレードだったね。アハハハ」
「ふむ、ほかには?」
「え~ッと、女の子同士の会話でのことなんだけど、1人の女の子が、自分のホッペにある大きなホクロがイヤなんだって言うと、もう一方の女の子が、{そんなの全然気にしなくていいよ。○○ちゃんってメチャクチャ可愛いんだからさぁ}って言うんだよ」
「ふむ」
「でもそう言った女の子がさぁ、自分の歯並びが悪いのが気になってるみたいで、手で自分の口を隠しながら言ってやがんの。みんなその子の歯並びなんか全然気にしてないのに… アハハハ」
「フォッ、ホッ、ホッ、ふむ、興味深い話じゃのぉ」
「おいおい、なんだよそのアドバイスの仕方は!って感じだったよ。アハハハハ」
「フォッ、ホッ、ホッ、楽しいのぉ。ふむふむ、そうかそうか」
少しの間、こんな話が続いて穏やかな?…時間が流れていった。
これから、悍ましいまでの恐怖に直面するとも知らずに…
「ところで、少年は腹が立っておるんじゃなかったのかのぉ?」
(そうだそうだ。こんな話がしたかったんじゃなかった)
「あのねおじいさん、最初は今話してたこと全部にイラッとしてたんだよ」
「ふむ」
「でも最近は慣れてきたっていうか、{可愛いな}みたいな感じで見てる、もうひとりの僕がいるんだよね」
「ふむ」
「でも、何度経験しても、許せないって思うことがあるんだよね…」
「ほぉ、なんじゃなそれは?」
「被害者や弱者を装うヤツ、そして被害者や弱者を利用するヤツがいるってことにだよ」
「ふむ… 話してごらん」
「どうやらみんな、人のことを{かわいそう}って言う人を、良い人や善人って思っている節があるよね。んで、そこにつけ込んでやってるヤツが大勢いるんだよ」
「ふむ、よいぞ少年。続けて話すがいい」
おじいさんが、僕を調子づかせようとしたときだった。
ピキューーーン
頭の中を稲妻が貫通した。
それと同時に、細胞ひとつひとつに戦慄が走った。
僕はそのときに、見てはならないモノ、触れてはならないモノ、知ってはならないモノを直接この手でつかんだ気がして、スーッと血の気が引いた。
**********
僕は恐る恐る確かめるように口を開いた。
「ねぇ、おじいさん…?」
「ふむ、なんじゃな少年。臆せずともよい、話してごらん」
こめかみに冷や汗がツーッと流れる。
僕は、生ツバをゴクリと飲み込んで言葉を続けた。
「人は、自分が善人であるために… いや、自分の3つの常を証明したり、満たすために… 悪人、被害者、弱者を生み出したりするってことだよね?」
「ふむ」
おじいさんの眼が、{続きを話してみよ}と僕を凝視してきた。
その眼に吸い込まれた僕は、半ば無意識に続けてしまっていた。
「善人と悪人は… 善人が先で、悪人、被害者、弱者が後… つまり、生まれる必要のなかった悪人、被害者、弱者が… 善人によって、生み出されてしまう」
「ふむ」
「善人によって生み出されてしまった悪人、被害者、弱者たちは… 自分たちの中にある3つの常が働いたその結果、善人を装い、正義を掲げるようになる。そして、また同じように悪人、被害者、弱者を作り仕立てあげ、生み出していく。それらを応援する者たちもまた…」
「ふむ」
僕は自分で言って、自分のその言葉に驚愕した。
(なに勝手にしゃべってんだ… 今、僕をしゃべらせたのは誰なんだ?)
これまでの僕の落ち込みは、人を偽善者呼ばわりすることにより、自分の3つの常を証明するという、3つの常のスパイラルというか、パラドックス的な落ち込みの仕方だった。
でも今は違う…
自分が半無意識状でに吐いた言葉に、僕はどうしていいかわからなくなっていた。
体がガタガタ震えだした…
体温が下がっていくのがわかる。
(なんてこった… 抜け出るとか、そんな生易しいレベルの問題じゃないぞコレは)
僕は、この恐怖から逃れたくて、いや、僕の恐怖心と、自分自身に対する猜疑心が、おじいさんに対して口を開かせた。
「そうだよね? おじいさん…」
「その世界では、そうじゃろうな…」
「その世界?… その?」
「それに少年、この経験というモノは、お主が通る道なのじゃよ」
「僕が通る道?」
「そうじゃ、通る道じゃよ」
「その道って、みんなが通る道なの?」
「いや、限られた者だけじゃよ」
「じゃぁ、その世界って何? どんな世界なの?」
「いずれわかる… でも少年、やっと{そこ}に入ったようじゃのぉ」
おじいさんはそう言うと、ゆっくりと眼を閉じて黙ってしまった。
**********
おじいさんの眼が閉じていくのに合わせ、僕の目の前に混沌とした世界が広がっていく。
僕はその世界を見て、おじいさんの言った{そこ}という言葉を理解した。
そう…、{そこ}とは…
怖くて足を踏み入れることが出来なかった、あの黒い物体の内部だった…
見渡すと{そこ}は、音も、光も、風も、匂いも、上も、下も、何もない空間世界…
感情でさえ見当たらなかった。
そんな空間世界は延々と、僕を取り囲むように広がっていた。
今、僕の眼は開いているのか、閉じているのかもわからない…
でもただ、脳裏に{絶望}という2文字だけが浮かんで見えた…
{そこ}にいること、それ自体が怖くなった僕は、自分の思考回路を、いや、すべてを止めようとした。
(今ならまだ…間に合うかもしれない… このことは、なかったことに…)
僕は3つの常… いや、すべてから逃げ出そうと思った。
それは、僕が扉を開けて{そこ}に入った途端、自分が積み上げてきた積木が、ガラガラと音を立て、一気に崩れ落ちたことを受け止めきれなかったからだ。
言い換えるとそれは、僕自身の存在自体が全面否定されたということにほかならない…
それを受け入れるだけのモノが、今の僕にはまだ無かったのだ。
しかも僕は{そこ}から、逃げることも、言い訳することも許されない状況に追い込まれようとしている。
(どうしよう… 無理だ、引き返そう… 出口?、出口はどこだ)
混沌とした中で、自分で開けた扉を探そうと手探りで彷徨っている僕は、出口の見つからない恐怖に全機能を停止させる寸前になっていた。
そして、あまりの恐怖に自分の体が歪んで見えたときだった。
「少年よ、過去を学べ。少年の過去を… そして脈々と連なるすべての過去を…」
おじいさんは僕を引き戻すように、そう言い残して帰っていった。
(…過去? …逆? …常? …過去 )
「!」
おじいさんのその言葉のおかげで、なんとか自分を持ち直し、僕は{そこ}から出てくることができた。
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【質問】
アナタハ 3ツノツネヲ ツカッテイマスカ?
ソレイゼンニ ツカッテイルコトヲ シッテイマスカ?
イヤ スデニ… 3ツノツネニ シハイサレテイルコトヲ…
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【少年編《08》3つの常】おしまい。