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イノチノツカイカタ第3部《青年編》第04話「順序」

第1話から読んでない方はホームからどうぞ。


 僕が勤めている会社は80営業所ほどあるけど、その80営業所の中の西京営業所の社員が先月大量に辞めてしまい、手が回らず大変だということで、広瀬所長と一緒に応援部隊として西京営業所に出張していた。

(ココに来て、もう2ヶ月になるのか… いつ帰れるんだろ?)

 最初はスグに帰れると広瀬所長から聞いていたけど、辞めてしまった前任の所長が結構デタラメなことをやっていたので、クレームやら何やらで収拾がつかない状態になっていた。

(今まで何件くらい取引先に謝罪したかな?… もう疲れたよ。それに電車が走ってる横のオンボロアパートの1階って… もうチョット会社も住む場所に気を利かせてくれりゃいいのに…)

 会社から帰った金曜日の夕方、明日からの土日の連休にホッとしながら、摺りガラス越しの夕日に目を細めていた。

 カン カン カン カン

(いつもより慌ただしいな… またかな?)

 僕が住んでいるオンボロアパートの2階の住人だ。

 鉄製の階段をヒールでドタバタと降りてきた。

 ガチャガチャ コンコンコン

「ねぇ、お願ぁ~い」

(ノックより、ガチャガチャってドアノブを回す方が先ってなんだよ… ったく)

 僕は面倒臭そうに玄関へと向かった。

 ガチャリ

 仕方なく少しだけドアを開け、その2階の住人を恨めしそうに見つめてみた。

「ああ、良かったぁ~、居てくれたぁ~」

「また送って行かなくちゃイケないの?」

「うん、お願ぁ~い」

「これで何度目?」

「あ~ん、わかんないそんなこと~、ねぇ遅れちゃうから早く送ってぇ~」

 文字だけではわかりにくいかもしれないけど、この2階の住人ってのはニューハーフだ。

 名前はカズちゃんっていう。

 そのカズちゃんは、時間にルーズなのか何なのかは知らないけど、週に1回は僕がお店まで車で送っていた。

「早く乗って、もうッ」

「あ~ん、ありがとう。大好きよん、バサッ!」

 付けまつげの音だ。

 デカいだけじゃなく、ウィンクが出来ないカズちゃんは両目でやるからこういう音が出るのだ。

 バタン ブブ~ン

「ねぇ、なんでそんなに遅れんの? 目覚まし時計が鳴っても起きないの?」

「チャンと起きてるわよ。でもホラ、女って色々あるから時間がかかるでしょ? うふっ」

(うふっ、じゃねえよ、男だろ。それにコッチはその度に送らされてんだよ!)

 そう思いながらカズちゃんを見ると、ウキウキしながらコンパクトを覗き込み、目元を修正していた。

 キキ―――

「はい着いたよ」

 と言うが早いか、

「ありがと~」

 と言いながら、カズちゃんはお店の方角へ駆けて行った。

(治らんだろうな、こりゃ…)

 僕は車を切り返してコンビニで弁当を買い、オンボロアパートへと戻った。

(さてと、とりあえず風呂にでも入ろっかな)

 風呂に入ったあとは、飯を食べながら明日のことを考えていた。

(明日は何時に家を出れば間に合うかな?)

 土地勘が無い僕は、空港までの道のりを想像しながら、久しぶりに会うチー姉ちゃんに期待を膨らませた。

(スラッとした美人さんだったもんな。近所や学校でも有名だったし)

 チー姉ちゃんは高校を卒業して遠くの大学に行き、たまに帰ってきたときは会っていた。

 でも、大学を卒業してからは音楽の勉強とやらでベルリンに留学していたし、帰ってきたとしても僕も仕事やら何やらで、なかなか会えるタイミングがなかった。

 でもだ。

 幸いなことに、僕が今いる出張先の西京市は都会なので、少し離れたところだけど空港があった。

 つまりだ。

 チー姉ちゃんは帰省するついでに、わざわざ僕に会いに来てくれるのだ。

**********

 翌朝。

(久しぶりだよなぁ~、何年ぶりだろ?)

 日頃の鬱憤を忘れ、鼻歌を歌いながら身支度を済ませた。

(さてと、行くか!)

 キュルキュル ブブ~ン

 車に乗り込んで空港へと車を走らせた。

 空港に着いてパーキングに車を停め、北ウィングのゲートがある方へと向かう。

 待ち合わせ場所で待っていると、右手に持ったパナマ帽を大きく振りながらコッチに微笑んで歩いてくる女の人が見えた。

(あッ、チー姉ちゃんだ)

 スラッとした背丈に、淡いピンクのワンピースがとっても似合ってる。

「久しぶりぃ~ ハイッ、おみやげおみやげッ」

 ポン

「えッ」

 チー姉ちゃんが、手にしてたパナマ帽を僕に手渡してきた。

「南の島でバカンスを楽しんできたの。そこで買ってきたのよ、その帽子」

「そっか、ありがとチー姉ちゃん」

「ねッ? さっそくだけど何か食べよ? おなか空いちゃった」

「そだね。んじゃ、うどん屋さんでいい? チー姉ちゃんの好きでしょ? うどん」

「うん、好き好き」

(同じ言葉を2度繰り返すクセは健在みたいだな。ハハ)

 僕は、所長からたまに連れてきてもらっていた、チョイと小洒落たうどん屋さんにチー姉ちゃんを案内した。

「はいコチラ、うどんセットになります」

「ありがとうございます。さてと」

 ドバドバ ドバドバ

 チー姉ちゃんは、うどんが目の前に運ばれて来るや否や、七味唐辛子を大量に振りかけ始めた。

(うッ、思い出した。チー姉ちゃんって激辛好きだったんだよな)

 横を通る店員が2度見していく。

(真っ赤だ… こんなんで、うどんの味がわかんのかな?)

 パチン

「いただきまぁ~す。なに見てるの? 食べよ食べよッ」

「ああ、はいはい、いただきますいただきます」

 パチン

 僕も慌てて割り箸を割った。

 ズズッ ズズズズッ

「ここのうどん、美味しい~ッ!」

(ホンマかいな?…)

 こうやってチー姉ちゃんと僕のランチが始まった。

 いろいろ話していると、今回の帰省はチー姉ちゃんのお父さんの13回忌に合わせ、どうやら母親にフィアンセを紹介するらしいのだ。

 そのフィアンセはドイツ人で、再来週に来日するらしい。

「どうしてフィアンセと一緒に帰省しなかったの?」

「まずはお母さんとゆっくりして欲しいって、彼がね」

「へぇ~、優しいんだね。そういったところが良かったの?」

「そうね。順序立てっていうか、何を優先させるのかがシッカリとした人なのよね」

「ふ~ん、なんかいいね、そういうの」

「うん」

 チー姉ちゃんが、フィアンセを思い出しているような優しい表情で、うどんを見つめながら頷いた。

(順序、優先か…。チンチン電車でもそうだったもんなぁ、チー姉ちゃんって)

「でもさぁチー姉ちゃん、どうやって知り合ったの?」

「ん~、お父さんの導きかな?」

「導き?」

「うん」

 懐かしそうに頷いたチー姉ちゃんが、フィアンセとの馴れ初めを話してくれた。

 付き合い始めたころ、チー姉ちゃんがフィアンセの家に遊びに行くことがあって、そこに小さなころのフィアンセと自分のお父さんが写っている写真を偶然見つけたそうだ。

 驚いてその写真の理由を聞くと、チー姉ちゃんのお父さんは若い頃にドイツを旅したことがあって、フィアンセの家に2週間ほどお世話になったことがあり、その写真は、日本へ帰る別れ際に撮った写真だったそうだ。

「すごいね、その話」

「うん、それでね。その写真を見たときに、{この出会いはお父さんが引き合わせてくれた運命なのかもね。お父さんに感謝しようね}って、2人で話したのよ」

「へぇ~、いい出会いだね。ってか運命だね、それって」

「うん、ホントにお父さんには感謝だわ。感謝感謝」

 うどんを食べ終わったあと、喫茶店に移動してコーヒーを飲みながら暫し談笑し、新幹線で帰るチー姉ちゃんを見送りに行った。

「じゃあね、チー姉ちゃん。次に合うときは結婚式かな?」

「そだね」

 プルルルル・・・

 チー姉ちゃんが新幹線に乗り込んで、僕に向かって小さく手を振った。

 僕は、その手に応えるようにニコッと微笑むと、ゆっくりと新幹線が発車していった。

**********

(さてと、僕も帰ろかな)

 チー姉ちゃんにもらったパナマ帽を、指でクルクルと回しながら車に乗り込み、

(んでも出会いって大切だよな。僕もコッチに来てからは、新しい出会いが無いから探さなくっちゃな。所長にまた紹介してもらおうかな?)

 そんなことを考えながらオンボロアパートへと車を走らせた。

 そしてオンボロアパートに帰ってテレビを付けるとだ。

 カン カン カン カンと忙しく階段が鳴った。

(またかよ… 昨日の今日だぞ)

 ガチャガチャ コンコン コンコン

「お願ぁいしまぁ~す」

 その言い方は、今にも泣きそうな感じの思いっきり鼻にかけた声だったので、思わず吹き出してしまった。

「アハハ、わかったからチョット待ってて」

 チー姉ちゃんに会って機嫌が良かったので、もらったパナマ帽を台の上に置いて軽快にドアを開けた。

 ガチャリ

「うわぁッ! だ、誰?ってか… カ、カズちゃん?」

「・・・・うん」

 なんとそこに立っていたのは、ノーメイク姿のカズオという単なるおっさんだった。

(なんだこの幸が薄い顔は… 化粧をしないと、こんなにも違うのか?)

 のぺっとした顔でコレといった特徴も無く、ひと筆書き出来そうな顔だった。

「あんまり見ないで、恥ずかしいから…」

(だろうな…)

 何はともあれ、僕はカズちゃんを車に乗せて走り出した。

 車の中でメイクをしながらカズちゃんが、

「お礼したいからさぁ、今日このままウチのお店に来ない?」

 って聞いてきた。

「カズちゃんが働いている店に?」

「そうよ、まだ来たことないでしょ。アタシが奢るからさ、ねっ?」

「奢ってくれんの?」

「うん奢り。それに凄い人に合わせてあげる。アタシの先輩なんだけど」

「へぇ~、どんな人なんだろ?」

「な・い・しょ・バサッ」

(さっそく新しい出会いだ。運が向いてきたぞ!)

 僕は、いわゆる{飲む・打つ・買う}ってのは一切やらないけど、新しい出会いに飢えていたことと、ニューハーフの世界をチョット覗いて見たかったこともあってOKした。

 駐車場に車を停めて、カズちゃんと歩いてお店へと向かった。

「ここよ」

 見上げると、看板には〖すてぃっく・かっと〗と書いてあった。

(なんだそりゃ…)

 期待と不安の中、カズちゃんが僕を従えてお店に入っていく。

 カランカラン

「いらっしゃいませぇ~」

 野太い黄色い声のお出迎えだった。

「あらカズちゃん、また遅刻?… あれ? どうしたのその子… 珍しいわね、今日は同伴だっけ?」

「ほら、この前アタシが話した、いつも車で送ってくれる子よ」

「あらそう、なかなか可愛いじゃないこの子」

「ダメよ。この子はノンケさんなんだから」

(…同伴? ノンケさん? どういった意味なんだろ?)

 そんなことを考えながら愛想笑いを浮かべ、僕はカズちゃんが案内した席に座った。

**********

「今日はアタシの奢りだからね。バサッ」

「あ、うん、ありがと」

(やっぱ、初めてだから落ち着かないな…)

 そう思っていると、

「初めましてぇ~、マーサでぇ~す。カズちゃん、この可愛いお兄さんワタシに紹介してぇ~」

 と言いながら、水割りセットみたいなものを運んできて横に座った。

「マーサさん、この子はダメですからね~!」

「わかってるわよカズちゃん、大丈夫だってば」

 何が大丈夫なのかは知らないけど、このマーサさんは見た目からしても、かなりの年配者で貫禄があった。

 アハハハハ

 オホホホホ

「やぁ~だもうこの子ったら! ノンケってのはアソコの毛が無いことじゃないわよ」

 オホホホホ

 それから少しの間、僕とカズちゃんとマーサさんの3人でおしゃべりをして楽しんだ。

 そして、マーサさんが氷を取りに席を立ったとき、

「ねぇカズちゃん、マーサさんでしょ? カズちゃんが言ってた凄い人って」

 と聞いて見た。

「うん、そうよ。わかる?」

「うん、頭の回転が速いっていうか、冗談を言ってても本質を突いてるような感じがする」

「でしょ?」

 そうやってカズちゃんとヒソヒソ話をしているとだ。

({!}…な、なんだ?)

 ゾクッとした。

 うしろを見るとマーサさんが、ニヤつきながら立っている。

 そして何を思ったか、マーサさんがカズちゃんの性癖をぶっ込んできた。

「何をしゃべってんのか知らないけど、アンタ気をつけなさいよ。カズちゃんはSMが好きなんだからね」

「えッ、カズちゃんってSM好きなの?」

「チョットやめてよマーサさん、もう!」

「いいじゃないのよ別に減るもんじゃないしさ。で、カズちゃんってMなのよねぇ~」

「Mって、イジメられる方? いつも僕がコキ使われているからSかと思ったよ」

 僕のその言葉にマーサさんが少し考えてから教えてくれた。

「SMってのは、SがMを支配しているように見えるけど、それは肉体的支配っていうか、見た目の表面的な支配なのよ」

「表面的? 見た目?」

「そうよ。でもね、精神的支配はMが持っているのよ」

「???(なんだろソレ???)」

 マーサさんとカズちゃんが、僕の表情を見て楽しんでいるのがわかる。

(肉体的支配と精神的支配? わかんないんだけど…)

「ヒント、ヒントちょうだい」

 興味が爆発していた僕は、もう我慢がならなかった。

 そんな僕を見て楽しんでいたマーサさんが、僕の疑問をズバリ解決することを言ってくれた。

「Mが喜ばないとSMは成立しないのよ…」

「・・・・」

「SをコントロールしているのはMなのよ」

 と…。

「!」(ス、スゲェ!!)

「だからカズちゃんは、あなたに遅刻しそうだから送ってって言うと、アナタが面倒臭そうに怒るから、その度にゾクゾクしてたんだってさ」

(んッ?…ってことは、ワザと僕を怒らせてたのか?)

 そう思ってカズちゃんを見ると、てへぺろって顔をしながら舌を出した。

 そのカズちゃんの顔や態度を見て腹が立ってきた僕は、

「あのねぇ~!」

 と語気を強めると、

「いやぁ~ん、カズ、ゾクゾクしちゃう」

 と、こうくる。

(ダメだ… 完全に遊ばれてる…)

 ニューハーフという{キワモノ}…、いや、{ツワモノ}たちの凄さを思い知った僕は、アッサリと白旗を挙げて降参した。

 それからも、怒ったり笑ったりしながら楽しいひとときを過ごしたけど、マーサさんの達観したモノの見方や考え方には、目を見張るものがあった。

(マーサさんと出会えてホントに良かった。新しい出会いに感謝だな)

 そうやって楽しい楽しい夜が終わっていった。

**********

 翌週の月曜日。

「おい、出張費がアップしたぞ」

「えッ、ホントですか? いくらになったんですか?」

「2,000円アップの3,500円だ」

「おお~、やった~!」

 長引く出張に広瀬所長が骨を折ってくれたようだ。

「良かったよ。お前にはスグに帰れると言った手前な…」

 やっぱり気にしていたようだ。

 この所長はホントに良くしてくれる上司だった。

(広瀬所長の元で働けるのはラッキーだったよな。出会いに感謝だ)

 そしてこの広瀬所長、自分の取引先なのに僕を連れて行ってくれて、わざわざ僕を売り込んでくれるし、色んな人に合わせてくれたりもした。

(恵まれてるよなぁ~、僕って)

 幸福感に包まれながら、僕はアップした出張費をどう使うかを考えた。

(そうだ! たしかマーサさんがいるお店って、たしか1時間で3,500円だったよな?)

 1時間3,500円は、成長するための受講料だと考えた僕は、今日から1週間ほど{すてぃっく・かっと}に通うことに決めた。

(マーサさんの話が聞けるんだったら安いモンだよな)

 そう思うと、何だか楽しくなってきた。

**********

【初日】

 カランカラン

「いらしゃいって… あらま、チョッほら、カズちゃん! カズちゃん!」

「はぁ~い。…って、あら、どうしたの?」

 僕を見たカズちゃんが、目を見開いた。

「んッ? 僕がこの店に遊びに来たらイケないの?」

「い、いや別に、そんなんじゃないけどさ。ビックリしちゃった」

 席に案内されて、カズちゃんと向かい合わせで座った。

「でも急にどうしたのよ? まさか… 目覚めたの?」

「なに言ってんの!」

「よねぇ…」

「マーサさんの話が聞きたいなって思ってね」

「ふ~ん、そう」

 カズちゃんが素っ気なくそう言うと、

「マーサさん、ご指名よぉ~」

 と、奥の厨房にいたマーサさんを呼んでくれた。

「はぁ~い、はいはい。お待たせしましたマーサです…っていうか何よアンタ… 目覚めたの?」

(パターンかよ…)

 とは思いながらも、

「はいはい、目覚めましたよ~、お目々パッチリで~す」

 そうトボケると、

「意外と面白くないわねアンタ…」

 という冷たいツッコミが入った。

 アハハハハハハ

 とまぁ、そうやって挨拶を交わすと、マーサさんに質問したり意見を聞いたりして過ごした。

 カズちゃんも、{やっぱマーサさんってスゴイわ}と、しきりに感心しているようだった。

**********

【2日目】

 初日と同じような感じでワイワイと楽しく、でもタメになる話がマーサさんからたくさん聞くことができた。

**********

【3日目】

 マーサさんと話していてカズちゃんを見てみると、どことなくカズちゃんの元気が少し無くなってきた気がする。

**********

【4日目】

 カズちゃんだけでなく、マーサさんの元気も無くなってきた。

 というより、今まで3人で話していたのに、カズちゃんが席を立って他の席に行くようになった。

 そしてその帰り際、お店の外でマーサさんが神妙な面持ちで僕に手招きをした。

「どうしたの?」

 近寄ってマーサさんに聞いてみると、思ってもみないことを言われることとなった。

「今、カズちゃんがいないから、チョット言っておきたいことがあるんだけど…」

「うん、いいよ。なに?」

「ウチのお店に来るの… チョット控えない?」

「えッ…」

 マーサさんはそう言ったあと、ジッと僕のことを見つめた。

「カズちゃんに何かあったの? それとも僕が何か悪いことでも…」

「まぁいいから、少しの間だけ… ねッ?」

 そう言うと、マーサさんはお店に戻っていった。

(どうしたんだろう… 昨日も元気なかったし…)

 でも、どうすることもできない僕は、マーサさんの指示に従うしかなかった。

 こうして1時間3,500円のレッスンは、あっけなく幕を閉じてしまった。

**********

 それから約1ヵ月経った。

 週1ペースで車で送っていたあのカズちゃんが、この1か月間は1度も車で送ってもらうことを頼んでくることがなかった。

(毎週送ってたのにな… どうしたんだろ?)

 慌ただしく階段がカンカンと鳴っても、玄関をガチャガチャやったりすることはなかった。

 1度、カズちゃんが階段を降りてくるときに鉢合わせしたときも、僕を避けるような感じだった。

(マーサさん、少しの間って言ってたけど…)

 何だか突き放されたような感じがして、僕の気持ちがどんどん沈んでいった。

**********

 翌週。

「おい、明後日から有給を1週間くらい消化しろってさ」

「僕がですか?」

「ああ、本社からの指示だよ」

「そういえば、有給を使ってなかったような気が…」

「たぶんソレだろうな。地元に帰ってゆっくりして来い。コッチは何とかなるから」

「そうですか… はい、わかりました」

(すてぃっく・かっとの件もあったし、ちょうど良かったのかな…)

 そう思って気を取り直し、仕事に打ち込んだ。

 というのもここ最近、いや、ココに出張に来る少し前から僕の仕事の成績は、お世辞にも良いとはいえない状態が続いていた。

 今までは、紹介で仕事が取れていたけど、なぜか紹介が入らなくなっていたのだ。

(謝罪してばっかりだから運気が悪くなったのかもな… でもまぁ、そのうち良くなるさ。ココの営業所の処理が終わって地元に帰ったら、また所長に誰か紹介してもらおうっと)

 そんな風に気軽に考えていた。

**********

【有給中】

 僕とおじいさんは下の川で会っていた。

「どうじゃな出張は?」

「謝罪ばっかりで、結構ストレス溜まってるかな?」

「ほぉ、お主がストレスじゃとな」

「うん」

 少し僕がヘコんでいたのをおじいさんが察したようだ。

「まぁ、出張先であったことを話してみるがよい」

「うん」

 僕は、チー姉ちゃんのこと、所長のこと、仕事が取れないこと…

 そして、すてぃっく・かっとでの出来事をつぶさに話した。

「ふむ、そうか」

「うん、何だか最近、うまくいかないんだよね」

「ふむ、では聞こう。新しい出会いを求めているそうじゃが、どうじゃな? お主…」

 おじいさんが僕を伺うように聞いてきた。

「うん、まぁまぁだよ」

「まぁまぁとは、なんじゃな?」

「新しい出会いは、いろんな刺激があるから成長できるよね。僕が成長するには新しい出会いが絶対に必要だよ」

「ふむ…」

 そのおじいさんの返事は、何か含みがあるような感じだ。

「どうしたの? おじいさん」

「ふむ、成長か…」

「ハッキリ言ってよ、もう…」

「では、お主の電話帳を見てごらん」

「電話帳? うん、わかった」

 僕はそう言って電話帳を開いてパラパラ見ると、おじいさんが聞いてきた。

「もう何年も連絡を取ってない人ばかりではないのかな?」

「うん」

「今のお主があるのは… そして、お主が成長してこれたのは、その電話帳に入っている人たちの{おかげ}なのではないのかのぉ?」

「・・・・」

「お主が、僕の成長には新しい出会いが必要だ… と言っていることは、裏を返せば、僕が成長するには電話帳の人たちじゃダメだ… ということにはならんのかのぉ?」

「・・・・」

 そしておじいさんは、僕の目を見ずに、

「お主、少し見ぬ間に… つまらぬモノになったもんじゃのぉ」

 とつぶやいて、トボトボと帰っていった。

(・・・・)

 僕はその場から動けずに、ジッと電話帳を見つめていた。

(僕が成長してこれたのは、この人たちの{おかげ}…)

 その電話帳を見つめれば見つめるほど、僕がどうやって成長してきたのかを…

 そして僕がどんなにたくさんの人の世話になってきたのかを痛感した。

 すると、自分のことしか考えていない自分が見えてきた。

(僕は、何にもわかっちゃいなかったんだ、何も…)

 その日、日が暮れるまで何度も何度も電話帳をめくり、ひとりひとりを思い出していった。

 涙をハラハラとこぼしながら。

**********

 有給が終わって西京営業所に戻った。

「おお、ゆっくり出来たか?」

「はい、おかげさまで」

「おッ、どうした? なんか雰囲気がイイ感じに変わったな?」

 その広瀬所長の言葉を聞いて僕はニコッと笑った。

(やっぱ良い所長だよな、ホントに)

 僕は確かめたいことがあって、有給中に本社や問い合わせたり、同僚にそれとなく聞いてみたりした。

 やはり思った通りだった。

 僕の仕事のマズさを見かねた広瀬所長が、息抜きついでに半ば強引に僕を出張に連れて行ったことや、有給を取らせるように本社に進言してくれたことがわかったのだ。

 すると所長が、

「ココの営業所もあと1ヵ月もあれば落ち着くから、帰ったらまた取引先を紹介してやるから頑張れよな」

 と僕を励ましてきた。

 いつもの僕なら、{はい、お願いします}と喜んで言っていたハズだ。

 でも僕は、

「ありがとうございます。でも、今まで紹介してもらった所に顔を出しに行って、チャンとしたいと思ってます」

 と言っていた。

 僕の中の何かを察してくれた所長は、

「そうか。うん、わかった」

 と、嬉しそうに返事をしてくれた。

***********

 そして会社が終わってのこと。

 僕は会社が終わると真っすぐに{すてぃっく・かっと}に向かった。

 マーサさんからの許しは出ていない。

 でも僕は、やらなくては!…と決めていたことがあったので、覚悟を決めてお店の門をくぐった。

 カランカラン

「いらっしゃ… い…」

 カズちゃんとマーサさんが僕の姿を見た瞬間、歓迎されないムードが漂った。

「カズちゃん、遊びに来たよ」

 僕は、明るくやろうと決めていたので、精一杯の明るさで挨拶をした。

「えッ…ああ、そ、そうなの…」

 しどろもどろしているカズちゃんに僕の心が痛んだ。

(こんな思いをさせたのは僕のせいだ。ゴメンね、カズちゃん)

 気持ちがしょげそうになったけど、自分を奮い立たせた。

(明るくやるんだ! 明るく!)

「僕が座るのはココでいい?」

「う、うん、そこでいいよ」

 カズちゃんはそう言うと、水割りセットを作りに行った。

 マーサさんと目が合ったけど、マーサさんはスグに僕から目を逸らした。

(マーサさんにも迷惑かけたよな… 可愛がっている後輩のカズちゃんに対して僕は…)

 そう思うと、胸が痛くて痛くてたまらなくなってきた。

 そしてカズちゃんが戻ってきて、水割りセットをテーブルに置きながら、

「マーサさん、呼ぼうか?」

 と、寂しそうに… そして悲しそうに言う声を聞いたらもうダメだった。

 僕の目から涙が溢れそうになった。

「どうしたの?」

 カズちゃんが僕のことを心配して声をかけてきた。

(ホントにカズちゃん、ゴメンね…)

 心で謝りながら、僕は大きく首を横に振り、カズちゃんに話しかけた。

「マーサさんじゃなくて、カズちゃんに会いに来たんだよ」

「えッ、アタシでいいの?」

「うん」

 そして僕の謝罪が始まった。

 感謝という名の謝罪が…

「カズちゃん、ありがとね。ホントにありがとね」

「えッ、どうしたの急に…」

「マーサさんってホントに凄い人だよね。そんな凄い人を僕に紹介してくれて、ホントにありがとね、カズちゃん」

「・・・・」

 カズちゃんの目が潤んでいくのがわかる。

 カズちゃんはマーサさんの方へ振り向くと、マーサさんはカズちゃんを見つめながら、やさしく… そして、いたわるような表情で2度、カズちゃんに大きく頷いた。

 カズちゃんもそれに応えるように、マーサさんに大きく頷き返していた。

 やはり、人生の機微をいろんな角度からたくさん経験してきただけのことがある人たちだった。

 たったコレだけのことで、僕の謝罪を察してくれていたようだ。

(でも、これで良かったのかな…)

 そう思ってマーサさんに目をやると、{うん、うん、それでいいんだよ}という感じで、ゆっくりと僕に頷いた。

(順序か… 今度から気を付けてチャンと守っていこう。カズちゃんゴメンね)

 そう思ってマーサさんを見ているカズちゃんの背中を見つめた。

 マーサさんから僕に向き直ったときのカズちゃんは、もう既に穏やかで落ち着いた表情になっていた。

 そして、まだ涙目でしょげている僕に、

「飲もっか?」

 と、やさしく言ってくれた。

**********

【質問】

ジュンジョ ヤ ユウセンジュンイ トイウノハ テツヅキデス

デハ サッスルコト オモンパカルコト オシハカルコト トハ ナンデスカ?

テツヅキニ フクメテモ ヨイデスカ?

**********

【青年編《04》順序】おしまい。

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