第1話から読んでない方はホームからどうぞ。
明日の月曜日から1週間ほど出張に行く僕は、同僚の家に遊びに行って、その家の前で同僚の車と僕の車を並べて洗車をしていた。
「しかし今日は暑いなぁ。たまらんぞこりゃ」
「終わったらビール冷やしてあるから、それまでの辛抱だよ」
「おッ、いいねぇ。気がきくねぇ」
太陽がジリジリ照りつけている中、僕はホイールに付着した頑固な汚れと格闘し、同僚は同僚で、日差しでこびり付いたワックスを親の仇のように拭きあげてる。
2人とも{これでもかッ、こんちくしょう!}ってな感じだ。
「あのさぁ、先にビール飲まねぇか?」
「お前、ビール飲んだあとに、この作業の続きをやれるか?」
「…無理だな。やれねぇな」
「だったら我慢しろよ…ったく」
だいたいこの同僚、僕と違って融通がきかない。
まぁ僕の方がヘタレといってしまえば、それまでの話なんだけどね…
「暑~ッ、僕のお肌が汗と脂でベトベトになっちゃってるよ。あ~ッ気持ち悪い。こんなベトベトで太陽の熱射を浴びてたら、唐揚げになっちゃうよ」
「プッ、唐揚げってお前、アッ、ハッ、ハッ、相変わらずアホなことばっか言ってやがんなぁ。わかったから早く終わらせろよ。あとホイール1本だろ? 俺はもう終わるぞ」
そんなしょうもない会話をしたあと、{よし、あと1本ッ}と、この作業を終わらせて、冷えたビールを飲むことを想像しながら気合を入れ直した。
キキーーーッ
最後のホイールと格闘していると、僕の背後で自転車が止まった。
「すまんが、駅にはどう行ったらいいか教えてくれんか?」
っていう声が聞こえたので振り向くと、あらビックリ!
フルカワのおっちゃんが、ニッコリ笑って自転車にまたがっているではないですか。
僕が驚いていると、
「駅にはどう行ったらいいか教えてくれんか?」
再度、人懐っこい笑みで聞いてきた。
(久しぶりだなぁ、おっちゃん。でも、僕だってこと気づかないのかな? そういや10年以上会ってなかったからな。僕が大人になって変わったから、わかんないのかな?)
そう思った瞬間、ある不信が僕をよぎった。
(んッ? 駅にはどう行ったらいいだって?…)
その不信感を隠すように、何気ないフリをして尋ねた。
「駅には何しに行くの?」
「あぁ、娘が帰って来るもんでな。駅まで迎えに行くんだよ。ガハハ」
おっちゃんが笑って答えた。
「・・・!」
(ウソだ! おっちゃんには娘なんかいない。それにこの道は、昔おっちゃんが駅に行商に行くときにいつも通ってた道だ。絶対に忘れるはずなんかない。でもこの笑い方… 間違いなくフルカワのおっちゃんだ)
僕に何ともいえない胸騒ぎが…、そして苦いモノが込み上げてきた。
それでも僕は、ニコニコして返事を待ってるおっちゃんに、
「駅はあっちだよ。この道をまっすく行けば自転車なら10分くらいで着くよ」
と、極めて平静さを取り繕って喋った。
…いや、なんとか喋れた。
おっちゃんは僕が指をさした方向を見つめ、嬉しそうに、
「そうかそうか、ありがとう。娘が帰って来るもんでな。ありがとう」
そう言って、自転車を駅の方へと走らせていった。
(おっちゃん…)
僕は、その込み上げてきた苦いモノをゴクンと飲み込みながら、見えなくなるまで、いや、見えなくなっても、おっちゃんの事が気になって駅に続く道を見続けた。
同僚の、{おいッ、どうしたんだお前}の声がかかるまで、ずっと…
それから先のことは、モノクロ映画のようにしか覚えていない。
最後のホイールは、どこまでキレイにしたのか?
ビールは美味しかったのか?
同僚の{大丈夫か? 熱射病か? 病院に行くか?}と言ってる声…
ビールの空き缶が、クシャっとなって5、6個くらい転がってる…
ふわふわしてて、すべてが遠くに感じた。
何も考えられない状態だった。
いや違う。
考えたくなかった。想像したくなかった。
何もかも…
ただ、喉が渇いた…
その感覚だけがあった。
脳ミソの回転が定かでない僕は、それでもチャンと家に帰って飯と風呂を済ませ、翌日からの出張の荷物をまとめて床についた…みたいだ。
**********
出張から帰ってきた僕は、翌日の休みを利用してフルカワのおっちゃんのところに行こうと決め、布団にもぐり込んだ。
眠れない…
僕の不信が、僕の疑念が、眠りを拒んでいるようだ。
(おっちゃん・・・)
結局、一睡もできずに朝を迎えることになってしまった。
でも、頭も体も冴えていた。
ただ、精神を除いては…
当日。
フルカワのおっちゃんの家へは、道幅が狭くて車で行くことができない。
僕は、倉庫にしまってある古い自転車を引っ張り出して、タイヤに空気を入れて玄関先に出すと、サドルの埃をフゥ~ッと息で飛ばして自転車にまたがった。
(よし、覚悟はいいか? できてるよな? 何があっても大丈夫だよな?)
僕は自分で自分に発破をかけ、自転車のペダルを思いっきり踏み込んだ。
キーコ キーコ キーコ
おっちゃんが住んでる山に入ると、空気がヒンヤリしてきた。
そのヒンヤリ感は、僕を違う世界に入り込ませたような錯覚に陥らせる。
(大丈夫だ、大丈夫だ。何があっても大丈夫だ。僕もおっちゃんも、きっと大丈夫だ!)
僕は、その異次元の世界に引きずり込まれないように、{大丈夫だ。きっと大丈夫だ}と、その言葉を呪文のように繰り返した。
でもだ。
おっちゃんの家に向かっているのに… おっちゃんに会いに行っているのに、僕は逃げてるような感じで、思いっきり自転車のペダルを思いっきり漕ぎつづけていた。
**********
変わらない。
最後にココへ来たのは10年以上も前なのに、まったく変わらない風景がそこにあった。
古ぼけた小さな家、そして横には大きなハゼの樹。
木漏れ日さえも、あの頃と同じだった。
僕は、フルカワのおっちゃんの家の横にあるハゼの樹に自転車を立て掛けると、なんだかタイムスリップしたかのような感覚になって、少しの間、懐かしんでいた。
ガラガラガラッ
「どうしたんだ兄ちゃん、なんか用か? あッ、お客さんか?」
ビクッ!
心の準備ができてない僕は、あまりの突然さにビックリした。
何も言葉が出ないまま突っ立っていると、フルカワのおっちゃんが僕の様子を探るように見つめながら尋ねてきた。
「客じゃねぇなら、そんなとこで何してんだ? んッ? 迷子にでもなったか? ガハハ」
そのフルカワのおっちゃんの笑い声が、その懐かしい笑い声が僕を引き戻した。
「いや、迷子なんかじゃないよ。昔、ここに遊びに来たことがあるんだよ。それで懐かしいなぁって思って、また遊びに来てみたんだよ」
「ふ~ん、そうか。すると兄ちゃん、オレと会ったことがあるのか?」
まだチョット疑っている様子だ。
「うん、あるよ。10年以上前になるけどね。あッそうだ。おっちゃんの友達で、カンちゃんって友だちを知らない? 僕の父ちゃんなんだけど…」
今度は僕が探りを入れてみた。{もちろん知ってるよ}って返事を期待して…
「カンちゃん? う~ん、知らねぇなぁ… っていうか覚えてねぇな。最近、チト物忘れが激しくてな。すまんな兄ちゃん、ガハハハハ」
(やっぱり、おっちゃんは…)
それを聞いた僕は、気持ちがシュン…となってしまった。
でも、{何か話さないといけない}と思った僕は、
「ねぇ、おっちゃん。少しおっちゃんの家で休憩してってもいい?」
と、昔おっちゃんと話してた頃のように呼びかけた。
するとおっちゃんは、腕組みをして目線を上に向けてから、
「オレは昔から知らねぇヤツは家にあげねぇ主義なんだよな… まぁでもだ。オレはお前のことは知らねぇけど、お前はオレのことを知っているっていうことでオッケーだ。よしッ、兄ちゃんあがれッ。ガハハハハハ」
と、いつもの笑い声で、僕を家へ招き入れるために、手で{こいこい}っとしてくれた。
「アハハハハ。何それ? そんなんでいいの? アハハハハ」
笑ってしまった。
(ユーモアたっぷりで豪快。やっぱりフルカワのおっちゃんだ。野暮が嫌いで、あけっぴろげ。上品さはないけど、いわゆるこれもおっちゃん流の{粋}ってヤツなんだろうな)
そう思いながら玄関を開けると、やっぱり何も変わってない。
傍らに置いてある山草や薬草を見れば、今でも行商をやってる感じだし、炊事場の横には果物や野菜がたんまり積んであるのが見えた。
(昔からそうだったよな。山や畑で採れたものを売ってたし、ほとんど自給自足で生活してきてたもんな。すげぇや、やっぱり)
僕は変わらないこの風景に、どんどん引き込まれていった。
そうやって僕が突っ立っていると、おっちゃんがぶっきらぼうに急かしてきた。
「なに玄関で突っ立ってんだ兄ちゃん、早くあがれッ、居間はそっちだ」
「はぁ~い、おじゃましまぁ~す。(おっちゃんの家なら隅々まで知ってるよぉ~だ)」
僕は、ちょこっとだけコツのいる扉を容易に開けると、居間にある小さなちゃぶ台の前に胡坐をかいて座った。
でもこの感じからすると、オチャラのおっちゃんはいないようだ。
「チョット待ってろ、今、おいしいお茶を入れっからよ」
(げッ! ま、まさか…)
おっちゃんが妙な気配を漂わせながら運んできた。
そのお茶の色を見ると…
やっぱりだ! イヤな予感が的中した。あの薬草茶だ。
渋いだとか、苦いだとかの騒ぎじゃない。
すするだけで口がマヒする、あの薬草茶だ。
コンッ
「ほれッ、飲めッ」
そう言って、その薬草茶をおっちゃんが僕にすすめてきた。
「チョット待ってよおっちゃん、僕この薬草茶、メチャクチャ嫌いなんだよ」
「なに言ってんだ兄ちゃん、コレは体に良いんだぞぉ。ほれッ、文句言わんで飲めッ」
そう言いながらおっちゃんは、自分の薬草茶をズズズッとすすりながら、上目使いで僕の様子を探るようにジッと見つめてきた。
小さな頃、おっちゃんが僕をからかうときにしてた、あの眼だ。
(負けんぞ、おっちゃん。絶対に渋い顔なんかするもんか! 勝負だッ)
僕は眉間にシワを寄せ、おっちゃんの眼を睨みながらズズッとすすった。
ゴクリ
「 {!} &%$“?‘<’&」*+”」
凄まじい破壊力が僕に襲いかかった。
プルプル震えながら我慢してる僕の顔が、みるみる紅潮していくのが自分でわかる。
「ほれッ、遠慮せんでもうひと口飲めッ、ほれッ」
そのフルカワのおっちゃんのトボケた言い方と、いたずらっ子みたいな眼を見たら、僕はもうダメだった… 限界だ。
「ニッガ~~~ッ! ハァハァハァ、くひがいらい、くひがいらい(←口が痛い×2)」
「ガッハッハッハッ」
脳天を突き抜けるほどの威力に悶え苦しむ僕に向かって、{してやったぞ!}という感じで、フルカワのおっちゃんが思いっきり大声を上げて笑ってる。
(ホントは僕を騙すために、ワザとボケたフリしてんじゃないだろうな?)
そう思わせるほどの、おっちゃんぶりだった。
それからしばらくの間、僕とおっちゃんは、その薬草茶に舌鼓?を打ちながら、昔、話してた頃のように{アハハ、ガハハ}と談笑した。
**********
でもやっぱりだった…。
話がチグハグで、どうも噛み合わない。
それにおっちゃんは、僕や父ちゃんのことはおろか、草笛が上手なオチャラのおっちゃんのことでさえも、{なんか、そんなヤツいたな?}くらいにしか覚えていなかった。
でもだ。
気っ風の良さや、喋り方はちっとも変わらない。
僕は錯覚を起こしつつ、おっちゃんとの掛け合いを楽しんだ。
そんな中、{フルカワさん、薬草茶を貰いに来ましたぁ}と家の外から声がした。
「おッ、お客さんが来たな。チョット待ってろ兄ちゃん」
そう言うと、玄関まで出ていった。
「え~っと、どちら様でしたっけ?」
「いい加減覚えてくださいよぉ。私、もう20回くらい来てますよ」
「そうかそうか、すまんすまん、でもチャンと、この帳面には書いてあるから心配しなさんな」
「その帳面に書いたのって私でしょうが… ほらココ、私の字で書いてある」
「ガハハハ、そうかそうか、まぁ気にしなさんなって、品は良いものだからよ。え~っと500g…」
(へぇ~ッ、あんなマズイもの買いに来るだなんて、世の中変わった人もいるもんだよな。でも良かった。いくら自給自足ったって、少しくらいお金がないとな)
チョット安心した僕は、部屋のわきに立て掛けてあるコタツの電気コードが眼に入った。
この電気コードは、僕が小学校に上がったくらいのときに、僕が修理したヤツだ。
(おっちゃんって電気関係は、てんでダメだったもんな。たしかコードの真ん中くらいにある、入切スイッチを分解して修理してたら、危ない危ないって言いながら、隣りの部屋に逃げ込んで僕の修理を見てたんだよな。んでもスイッチを入切するたびに、ショートして火花が飛んでたんだから、そっちの方が危ないっつうの…アハハ)
その修理あとの黒いビニールテープを見ると、カピカピになってる。
どうやらあの頃のままで巻き変えてないらしい。
僕はそのテープを剥がし、おっちゃんの道具箱からビニールテープを取り出して巻き直した。
おっちゃんはお客さんと話し込んでるみたいなので、裏庭が見渡せるところに出ていき、チョコンと膝を抱えて座るとだ。
やっぱり… 思い出してしまった。
チラチラとした木漏れ日の光が、ゆりかごのように僕をあの頃へと手招きしてる。
そして、あのキレイな草笛の音色を甦らせてくれた。
僕は、甦った草笛に合わせて歌った。
一緒に歌ったあの歌を…
♪ うさぎ追いし かの山
小ブナ釣りし かの川
夢はいまも めぐりて
わすれ難き ふるさと ♪
(どこにいったんだろう、オチャラのおっちゃん… 元気にしてるかな?)
そう思うと僕の眼に、うっすらと涙が浮かんできた。
でもなぜか、胸が… 体中がポカポカしてる。
あの頃と同じように。
**********
「終わった終わったぁい! 今日の商売はこれにて終了ッ! んッ? 兄ちゃんはどこ行ったんだ? 兄ちゃぁ~んッ」
終わったようだ。
僕は握りこぶしでグイッと涙を拭うと、居間へと戻っていった。
「商売繁盛だね。おっちゃん」
「おうッ、あったりめぇよ。ガハハハハ。でもなんだ兄ちゃん、さっきまで泣いてたようなシケたツラしやがって… なんかあったのか?」
「ううん、なんでもないよ」
元気を装ったけど、バレバレみたいだ。
「そんな元気のねぇツラしてたら、お空のお天道様に笑われっぞ兄ちゃん。ガハハハハッ。おッ、そうだ兄ちゃん腹が減ったな、なんか食うか?」
「うん」
「よぉし、チョット待ってろ」
この{腹が減ったな、なんか食うか?}も、おっちゃんの常套句だ。
この常套句が出たときは、{いらない}なんて答える権利は僕にはない。
たとえ、おなかがいっぱいでも食べなきゃ怒られるのだ。
するとおっちゃんが、猫の額くらいしかない小さなちゃぶ台の上に、これでもかッ!っていうくらいに、家にあった果物や野菜やらを並べだした。
「おっちゃん、いくらなんでもこんなにたくさん食べれないよ。それに生…」
「気にすんな、ほれッ、このお茶でも飲んでろ!」
コンッと僕の目の前にお茶を差し出して、おっちゃんは炊事場に戻っていった。
「いや、だからさぁ、この薬草茶キライなんだってばさぁ」
「こっちは、さっきの客に売ったヤツの残りだよ。ブツクサ言わんで飲んでみろ」
(ホントかなぁ…)
僕は半信半疑で、恐る恐るチョビっとだけ飲んでみた。
するとどうだ。
あら不思議、おいしい。
もうひと口、やっぱりおいしい。
「おっちゃん、コレおいしいねぇ」
「ヘッ、二度も同じ手を使うかよ、野暮じゃあるめぇし。ガハハハハ」
「じゃぁおっちゃん、いつもの、いや、さっき僕に飲ませたのはなんなの?」
「んッ? あぁアレか… ありゃぁ、センブリってやつだよ」
「センブリ? あのマズイ薬草茶、センブリっていうの?」
「あぁそうだよ。マズイけど体に良いってのは確かだぞ」
「おっちゃん、あんなマズイもの、よく平気な顔して飲めるねぇ」
「なに言ってんだ兄ちゃん。あんなマズイもの飲めるかよッ!」
(・・・・)
「えッ? おっちゃんさっき… いや、まさか今まで… 飲んでなかったのぉ~ッ?」
してやられた。
しかも僕が小さな頃から、今の今まで…
僕は目の前のおいしいお茶をすすりながら、ちゃぶ台の上の野菜と果物と、にらめっこした。
(ホントにボケてんのか? このおっちゃん)…と。
炊事場から戻ってきたおっちゃんが、{どっこいしょ}っと、ちゃぶ台を挟んで僕の正面に座ると、相変わらずの口調で話しかけてきた。
「なんだその元気のねぇシケたツラは? ほれッ、飯食って元気出せッ」
「飯っておっちゃん、野菜と果物だけぇ? しかも生野菜はまるごとで切ってもないじゃない… おっちゃん包丁は? マヨネーズかなんかある?」
「マヨネーズ? そんなシャレたもんは、この家にはねぇよ」
「んじゃ、塩でも醤油でも味噌でもなんでもいいから持ってきてよ」
「ガタガタうるせぇ兄ちゃんだなぁ。シケたツラしてやがんのに、言うことだけは一人前だ」
そう言うとおっちゃんは、うしろからモゾモゾと何やら取り出し、あしらうようにフンッと鼻で笑ったあと、
「バ~カ、主役は果物や野菜じゃねぇよ。元気がねぇときは、コレに限るんだ」
と、おもむろにメインとなるソレを、バンッ! っと僕の眼の前に気前よく置いた。
**********
「{!}・・・・」
「お… おっちゃん… コ、コレって…」
僕は眼を大きく見開いたまま、ゆっくりと顔をあげた。
「なんだ兄ちゃん、鳩が豆鉄砲くらったみてぇな顔しやがって。元気のねぇときにはソレを食ったら元気になるんだよ。大丈夫だよ、ほれッ、さっさと食えッ! 絶対に元気になるからよ」
その言葉を聞いて、その表情を見て…
もう一度、メインのそれに眼を落した。
僕の眼の前には…
そう…
サンマの缶詰が置かれていたのだ。
割り箸とともに…
あの日の思い出 忘れてた思い出が
今 僕をやさしく見つめている
おっちゃんの 笑顔が
僕の琴線を
やさしく つま弾いた
涙があふれて こぼれた
あのときのサンマの缶詰は
おっちゃんが泣きながら食べた
このサンマの缶詰は
僕が泣きながら食べてる
あの そして この
サンマの缶詰
僕は あのときのおっちゃんと同じように
涙と鼻水で グシャグシャになりながら食べた
うまい うまい と言いながら
この日以来、お母さんを知らない僕は…
母の手料理を知らない僕は…
このサンマの缶詰が僕にとってのソウルフードとなった。
**********
【質問】
ナツカシイウタッテ アリマスカ?
ソウルフードッテ アリマスカ?
アイタイケド アエナクナッタヒトッテ イマスカ?
ソレハ アナタノキンセンヲ ドンナフウニ ツマビキマスカ?
…ソノネイロッテ ドンナデスカ?
**********
【青年編《06》ふるさと】おしまい。
【青年編《07》ものさし】へ