第1話から読んでない方はホームからどうぞ。
【5日目】
何やら国会で、議員が総立ちして拍手している映像が流れてる。
画面が切り替わると、これまた何やら原告団と弁護士が握手しあってる。
{本当に良かったですよね。これで亡くなった子ども達も、少しは浮かばれるような気がします。ご冥福をお祈りいたします}
そのキャスターの言葉を聞いて思い出した。
ずいぶん前に、飲酒運転か居眠り運転かは忘れたけど、小学生の列に車が突っ込んで数人死亡したあの事件だ。
その映像は交通違反を厳罰化する法案の、可決直後の様子らしい。
再度流れるその映像を見た僕は、
(またやってるよ、{逆}を…)
と、{悲しいかなこの国は…} という思いでテレビの画面に眼を細めた。
僕は、立法で犯罪や違反の発生率を下げるには、
① 法律を厳罰化し、強制力をもって下げる。
② 情操教育や道徳教育を進め、国民ひとりひとりの良識や良心による行動で下げる。
という感じで、大きく分けて2つあると思っていた。
でも今回は、厳罰化することによって犯罪や違反を減らしていく意向の法案を決定し、それに拍手を送っている。
僕はこんなケースを見ると、
(道徳良心で減らすことを達成させるための法案可決に拍手を送るのならわかるけど、厳罰化で減らす法案可決に拍手を送るっておかしいだろ? 言いかえたら、この国民の道徳良心では減らないから厳罰化するってことだぞ。厳罰化しないと、この国の犯罪や違反が減らないって、それって道徳良心の衰退だろうに… 秩序の衰退に拍手を送るのか?)
と、危機感を覚えてしまう。
すると怒りが込み上げてきた。
(当事者ならわからんでもない。でもしかしだ。当事者以外なら話はまったく別だ。たとえ厳罰化と情操道徳教育が同時に進んだとしても、厳罰化の決定に拍手を送ってはならんだろ! 厳罰化が決まったときは、{本来、道徳心や良心によって無くさなければならないものなのに、厳罰化をしなければならなくなってしまった国民の、我々の… いや、なによりも私自身の道徳良心の意識と行動が低下しているのだろう。今一度、私自身の襟を正そう}と思い、厳粛に受け止め我が身を省みて、誓いを立てて行動に移すときだ。拍手を、しかも笑顔で拍手を送っている輩なんぞは、拍手を送ることにより、{私は他人事だと思っています}ということを自ら証明している恥知らずで無責任なブタ野郎だッ!)
…っとまぁ久しぶりに、ブチ切れた。
薄々は感じていたけど、僕の正義とヒーローっていうのは、どうやらスマートじゃないらしい。
でもブチ切れたせいか頭の中の温度が下がった僕は、そのあとの午前中は天井を見上げながら、ポカァ~ン状態を味わった。
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午後からは何もする気が起きなかった。
テレビに向かってブツブツ文句を言うのにも疲れたし、ゲームも眼をつぶっててもクリアーできるくらいにヤリ込んでしまった。
お菓子も食べ過ぎて、胃がもたれているので見るだけでイヤになる。
眼の前にある、{引き籠り金ピカ3点セット}が今はくすんで見えた。
(退屈だなぁ? 何しよっかなぁ…)
そう思っても何も浮かばない。本でも読むか? という考えがよぎったけど、本を読むまでの気力が湧かないので、頭をかすめただけだった。
(なんでこんなに退屈なんだよ、ったく)
「!」
(ヤバイぞこれ、ホントにヤバイぞ! こんなに大変だったとは…)
急にそのことがわかった僕は、焦りと感心という感情が渦を巻いた。
当然、そのことってのは準備のことじゃない。
もし仮にだけど、今日を入れてあと3日しかないのに準備は大丈夫なのか?って聞かれても、{別にいいんじゃない? 伸びたら伸びたで}と、のん気に答えたと思う。
そのくらいに{とらわれない状態}でいたのだ。
僕が{こんなに大変だったとは}と思っていたことってのは、
(引き籠りってこんなに大変なのかよ、すげぇな引き籠ってるヤツ…)
っていうことだった。
んなワケで、こんな{おバカ}は放っておいて5日目終了。
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【6日目】
やっぱり何もする気が起きない。
僕はアパシーになったか、バーンアウトしたみたいに、ダラダラゴロゴロしていた。
そして夕方に差し掛かったころ、
プーーーーーーン
という時報のような音が、僕の脳内を横切った。
(んッ? プーンってなんだ? プーンって…)
いつもなら稲妻みたいなものが走るのに、今回は違っている。
それは、コバエが大きな目覚まし時計を持ってフラフラしながら、ゆっくりと僕の脳内を横切っていくようなプーンだった。
(まさか、コレで準備が終わるんじゃないだろうな?)
僕は、疑うように周りをキョロキョロとした。
そうしていると脳内に、ガラガラガラという音が鳴り響き始めた。
すると突然、
{知っているだけで十分}
という文字が、ポンッ と出てきた。
僕はその瞬間、
「!」(ヤラれた! おじいさんにハメられた!)
という思いでいっぱいになり、顔を覆ってベッドに横たわった。
(そうか、おじいさん、それであのとき… ちくしょう!)
僕は28歳にもなるのに、ベッドの上で手足をバタバタして悔しがった。
それはつまり、こういうことだった。
おじいさんは、準備はするのか? とは聞いてきたけど、準備があるとは、ひと言も言ってない。
勝手に準備があると思い込んで、僕が決めつけただけの話だ。
その僕の{思い込みと決めつけのクセ}の存在をわからせるために、そして、その出所を知らせるために、おじいさんは準備はするのか? とカマをかけ、そして見事に僕をハメたのだ。
(ちっくしょう、やりやがったな、おじいさん! んでも、やんないと…)
思い込みと決めつけの存在と出所は、探ってみれば簡単だった。
僕の思い込みは、{幅広い視点を持とう}{たくさん受け入れよう}{柔軟に}という全通念が、僕に気づかれないように忍び寄り、僕の3つの常に働きかけていたのだ。
その結果は、まるで完成した絵を真っ白だと思い込んでペタペタと上塗りしている状態であり、ミイラ取りがミイラになって喜んでいる状態とも言えた。
知らないけど、やっている。
でもそのこと自体を知らない、ということだ。
しかしそれは、脳内に走る電流に僅かながらの抵抗感を与えていた。
これが僕の{戸惑い}という混乱の正体だった。
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戸惑いの正体がわかったことによる安心感と、おじいさんに引っ掛けられた悔しさが同居する中、自分も歴史と同じように繰り返していることに改めて気がついた。
(思い込みや決めつけは、全通念では悪とされてるけど、それ自体は善でも悪でもないんだよな。独断的、断定的… それでいいんだよな、それで… それをやっていることを知っていれば、いや、知らなくても全体にとっては適ってるんだよな。でも3つの常ってのは、知れば知るほどトホホになるな、こりゃ)
そうして僕は、
忍び寄るモノを数値化できないモノで府に落とすという思い込みと決めつけの存在を…
偽善者が多用するモノを…
その隔たりと偏りを…
やっと外から見ることが出来るようになっていた。
知らないけど、やっている。
でもそのことは、知っている。
しかしその{知っている}もあやふやなのだ。
というふうに。
両輪・・・
この両輪という言葉が、僕の頭の中で踊るように浮かんだ。
気がつくと、もう深夜だ。
雨も降っている。
僕の大好きなシトシト雨…
(第3段階のことは、明日考えよう… 明日)
大好きな雨音に耳を傾けながら、落ちるように眠りに入って6日目を終了した。
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【最終日】
いい目覚めだ。
お日様がいい具合に差し込もうとしている。
僕は、お日さまを邪魔しているカーテンを開いて窓を開けた。
雨上がりで晴れ渡った朝の空。
夏とはいえ、澄んだ空気がヒンヤリしてて気持ちいい。
僕は洗面を済ませたあと、まずは過去を振り返って修正と調整をすることにした。
ホントに懐かしい。
その懐かしさに吸い込まれながら点検し、修正と調整を繰り返した。
「アハハハハ」
(うん、やっぱりそうだ。僕は3つの常の3番目が強いみたいだな)
自分の過去の表現を思い出して笑ってしまった。
(でも、表現をパッと見ただけじゃ、人ってわかんないよな。 イジメられても、人によって表現の仕方が違うからな)
実際にイジメを受けた場合、怒る人、泣く人、無視する人、みたいに表現が違う。
なかには、そのイジメから逃れるために笑顔をつくる人もいた。
この自己防衛の手段としての表現は、おそらくその人が過去に{それで成功した}ことがあるからだろう。
もしくは、その表現を強要されたのかも知れない。
まぁどっちにしろ、{悲しい笑顔も存在する}ということだ。
(僕って、どんなときに笑顔になるんだったかな?)
僕はそんな感じで、ゆっくりゆっくりと進めていった。
ふと時計を見ると、昼の2時を回っていた。
(朝6時くらいから考えてっから、休憩除いても7時間も考えてたのか?)
僕は小休憩を挟んだあと、第3段階のことについて考えることにした。
底に残った酸味を帯びたコーヒーを飲み干すと、
(とすると第3段階は方向性か… ならまずは、自分が何を欲しているか? だよな)
と思ったけど、これはもうわかっていた。
さっきの点検でもソレは示されていたし、幼いころに何度も何度も見てきていたから考えるまでもなかった。
第3段階は方向性ということは簡単にわかる。
第2段階を終えれば、当然のようにそれは頭に浮かんでくる。
これまでの流れを見ていてもそうだ。
土台という、ポジション。
軸という、スタンス。
そしたら残るはフォームしかない。
野球でいえば、来た球を、どの方向に、どんなふうに打ち返すか? ということだ。
でも疑問がある。
{なぜ方向性が第1段階ではないのだ?}という疑問だ。
まず、目標や方向性を決める。ということが先決なのではないのか?
それなのになぜ、{知ること}{つくること}の方が先だったのか?
それを考える必要があった。
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するとだ。
ピキューーーーーーン
ガラガラ・・・ポン!
(んッ? ピキューーンはカッコよかったけど、ガラガラポンって… この前も似たようなことがあったよな?)
その僕の考えをさえぎるように文字が浮かんだ。
『反応は選択ではない。それは流されているだけ。そのとき人は{逆}をする』
「!」(あッ、そういうことか。それでか… アハハハ。ガラガラポンもコレだったのか、アハハハ)
ガラガラポンがハッキリ聞こえたということは…
どうやら僕のハブが、すべて繋がってくれたようだ。
僕のピキューンやガラガラポンっていうのは、{ひらめき}のことだった。
その{ひらめき}とは、天の啓示でもなんでもない。
僕には霊感など、コレッぽっちもない。
ましてや神でもない。
僕のひらめきの正体… それは僕自身のハブによるものだった。
そのハブは、そのまま出ることもあれば、複雑に絡み合って出でくることもある。
真っ直ぐにそのまま出れば、単なる記憶力や基礎力。
絡み合って出てくれば、それは発想力や応用力。
ならば、今あるハブをつなげながら、ハブの数を増やしていくことだ。
そうすればハブの網目が細かくなり、物事を受取りやすくなる。
破れた網目のザル、大きな網目のザルでは、すくえるものが少ないようにだ。
ひらめきは反応ではない。
ましてや霊感などでもない。
それは直観力という己自身が磨き上げた{力}なのだ。
そう、僕は今まで{選択する力}…
そして{直観力}を養っていたのだった。
(だよな… 小さな子どもがロボットになって空を飛びたいとか言っても、それを選択とは呼べないよな… アハハ)
気がつくと、時計が夜の8時を回っていた。
(よしッ、なるべく早いうちに、おじいさんに報告に行こう)
そう思った僕は、ご飯を食べてお風呂に入った。
「フ~ッ、やっぱり気持ちいいねぇ、風呂ってヤツは」
風呂からあがった僕は、タオルで頭をゴシゴシ拭きながら、冷えたビールを片手にテレビのスイッチを入れようとした瞬間だった。
ピキューーーーーーーーーーン
シーーーン
(あれッ? ガラガラポンは? ポン…)
と思った瞬間だった。
「!」(…ウ・ソ・だ・ろ・・・・)
「えーーーッ!」
思いっきり叫んだあと、文句ばかり言っていた引き籠りが終了した。
ある思いを持ったまま…
(おじいさんに… 会いたくない)…と。
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【質問】
アナタハ エガオヲ ドンナトキニ シテイマスカ?
ソノエガオニ ムジュンヲ カンジタトキ ナニガ オコッテイマスカ?
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【青年編《09》えーーーッ!】おしまい。
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